「いくら東大生だからと言って、さすがに受験生時代には本なんて読まないだろうな」。現役東大生作家の西岡壱誠氏は、そう考えていたが、周囲に話を聞くと「受験生時代にこそ本を読む量が増えた」と話す人もいるという。その理由は「東大の入試問題を勉強していると、自然と本が読みたくなるから」。どういうことなのか――。

※本稿は、西岡壱誠『東大生の本棚』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

どんな本にも必ず「穴」はあり、それが思考のきっかけになる―― ※写真はイメージです(写真=iStock.com/SunnyGraph)

本が読みたくなる東大の入試問題

「いくら東大生だからと言って、さすがに受験生時代には本なんて読まないだろうな」。受験生時代、僕はこう思っていました。「勉強しなければならないことだって多いんだし、さすがに本を読む時間はないだろうなぁ」と。たしかに、僕のまわりの東大受験生を見てみても、受験生になって勉強しなければならない時間が増えると、本を読まなくなる人もいました。しかし、実は受験生時代にこそ本を読む量が増える人もいました。

これにはひとつからくりがあります。東大の入試問題を勉強していると、自然と本が読みたくなるのです。

「東大の入試問題」と聞くと、どのようなものをイメージしますか? おそらく多くの方は「膨大な知識量がないと解けない問題」や「重箱の隅をつつくような細かな知識を問われる問題」を思い浮かべるのではないかと思います。しかし、現実はその逆。東大の入試問題では、難しい知識は問われず、思考力を問う問題が出題されているのです。

たとえば、世界史や日本史では「この出来事の名前を答えなさい」「この出来事があった年号を答えなさい」などといった問題はほとんど出題されず、「時代の流れ」や「出来事の背景」をその場で考えさせて記述させる問題が大部分を占めています。「知識」を問うのではなく、「自分の頭で考えているかどうか」が問われるのです。

これは現代文でも同じことが言えます。「東大の現代文はすごく難解な文章が出題されるんでしょう?」と思われるかもしれませんが、東大の現代文では「有名大学で東大ほど平易な文章を出す大学はない」と言われるほど読みやすい文章が出されます。早稲田やGMARCHなどの私大の入試問題やセンター試験よりも、はるかに読みやすいのです。