そしてゴーンがやってきた

こうして日産の異常な労使関係が正常化され、“整地”された。ただ、その後の経営者たちはその上に堅牢な経営体を築くことができず、ついにゴーンが再建のため、“新しい主人”としてやってきた。

「どれだけの犠牲が必要か、痛いほどわかっている。わたしはルノーのためではなく、日産のために来た」

着任したときのゴーンの言葉だ。この言葉どおり、3工場の閉鎖、遊休不動産の売却、2万人以上のリストラ、系列部品メーカーの半減……等々の「日産リバイバル・プラン」が矢継ぎ早に打ち出された。

このリバイバル・プランは、もし、塩路一郎が健在であったならば、労組の猛反発を招き、ストライキに発展してもおかしくないほど苛烈なものだった。しかし、労組はもう牙をむかなかった。

もし、われわれのあの戦いがなかったら、異常な労使関係が温存されたまま、労組は経営への強力なカウンターパートとして立ちはだかり、ゴーン革命なるものは起こらなかったかもしれない。

ところが、19年におよぶ統治のあいだに、「日産のために来た」はずのゴーンが今度は新たな絶対的権力者となり、自ら再建した会社から収奪を始めた。その不正が発覚して日産を去ることになり、同じ歴史が繰り返された。

誰もが心に一燈を灯すことができる

川勝宣昭『日産自動車極秘ファイル2300枚』(プレジデント社)

今回の報酬過少記載事件をめぐっては、ゴーン対日本側経営陣の権力闘争説も取り沙汰される。しかし、報道によれば、事件発覚の最初のきっかけは、日本人社員たちからの複数の内部告発だったとされる。その内部告発は、ゴーンによる会社の「私物化」を疑う「うわさ」が流れるなか、日産の経営が壟断されていることへの義憤からだったのではないか。私はそう信じている。

われわれの戦いは30年前の話だが、それをこの度、『日産極秘ファイル2300枚』と題し、書籍として出版しようと思い立ったのは、サラリーマンとしての「生き方」を問うためだった。

所属する企業や組織で、道義に反することが横行していたら、どんな行動をとるべきか。それはまさに「生き方」の問題だ。間違っていることは正したいと思うならば、私のように無名の一課長であっても、立ち上がり、戦い、最後は勝ち抜くことができる。そのことをメッセージとして発信したかったのだ。

その出版がゴーン逮捕のタイミングと重なったことに、何か運命めいたものさえ感じた。7年間におよぶ戦いのさなか、私は幕末に維新の志士に思想的な影響を与えた儒学者、佐藤一斎の次の言葉を常に胸に刻んでいた。

一燈を提げて暗夜を行く
暗夜を憂うること勿(なか)れ
只だ一燈を頼め

自分が決心した道を進むとき、前が見えないことに不安を感じる必要はない。強い思い、それだけを胸に抱いて進む。それが自分にとっての大事な一燈となる。

誰もが心に一燈を灯すことができる。それは確信をもっていえる。(文中敬称略)

川勝宣昭(かわかつ・のぶあき)
経営コンサルタント
日産自動車にて、生産、広報、全社経営企画、更には技術開発企画から海外営業、現地法人経営者という幅広いキャリアを積んだ後、急成長企業の日本電産にスカウト移籍。同社取締役(M&A担当)を経て、カリスマ経営者・永守重信氏の直接指導のもと、日本電産グループ会社の再建に従事。「スピードと徹底」経営の実践導入で破綻寸前企業の1年以内の急速浮上(売上倍増)と黒字化を達成。著書にベストセラーとなった『日本電産永守重信社長からのファクス42枚』(小社刊)。『日本電産流V字回復経営の教科書』(東洋経済新報社)がある。
(写真=iStock.com)
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