国家の利益のためなら手段を選ばない思想「マキアヴェッリズム」の語源となった、中世イタリアの思想家・マキアヴェッリ。彼の残した言葉には、共感する部分が多いとエステー・鈴木喬会長は語る。
リーダーが「鬼」とならねば人は動かず
「マキアヴェッリを読んでいることを、公言するなんて珍しいですね」と言われることがあります。代表作である『君主論』はかつて「悪魔の書」と呼ばれ、目的のためなら手段を選ばない「権謀術数」を説いた本というイメージも強い。しかし私にとってマキアヴェッリの書籍は、本音で世の中を語っている本なんです。
たとえば、「君主たらんとする者は、種々の良き性質をすべてもち合わせる必要はない」「君主は、それをしなければ国家の存亡にかかわるような場合は、それをすることによって受けるであろう悪評や汚名など、いっさい気にする必要はない」なんて、ズケズケとものを言ってしまう。
マキアヴェッリは、宗教や道徳の話をしているのではなく、政治の話をしているわけです。政治の世界では、裏切り、騙し合いなんて日常茶飯事でしょう? 正義だの、愛だのとごたくを並べても、一見美しいかもしれないが、現実には役に立たない。私も本音が大好き。建前なんてクソ食らえですな。
マキアヴェッリが生きていた当時のイタリアは、国家の存亡がかかった非常時で、日本で言えば戦国時代。生き残るためなら、何でもありの時代でした。マキアヴェッリは、外交官としての経験を通じて、現実の社会がどうなっているのか、生き残るにはどうすべきなのかを、よくわかっていたんでしょう。私も子どものとき、終戦を経験していますから、偉い人たちの言っていた建前が全く当てにならないことを、身をもって知っています。
マキアヴェッリの本が「悪魔の書」だなんて言う人は、中身をよく知りもしないで、曲解しているだけ。決して悪事を勧めているわけではありません。非常時になったら、心を鬼にしなければ、生き残れないことだってあります。彼は、そうした現実を包み隠さずに指摘しているだけ。明け透けに書いたからこそ、ローマ法王庁から禁書処分にされたんでしょう。
ビジネスの世界も政治と同じで、きれいごとだけではすまない。しかも、バブル崩壊後の日本経済は、ずっと非常時みたいなもの。清濁併せ呑まなければ、企業経営はやってられません。
本当はマキアヴェッリのファンである経営者も多いという話を聞きます。だけど世間体が悪くなるのを恐れて、『論語』が愛読書なんて言ってるのかもしれません。『論語』の教えの通り、仁やら義やらで道徳的に経営していたら、会社はすぐに潰れてしまいますよ。