幻の書『あしあと』が書かれた経緯

唯一、小嶋を知るための書として、小嶋千鶴子自身が81歳の時(1997年)に刊行した自伝が『あしあと』である。『あしあと』は一般には販売されていない。小嶋からのプレゼントとしてイオングループ現役社員に配布されるのみである。

『あしあと』は新入社員には必読書となっている。小嶋の文章は抑制がきき、平たい言葉で淡々とした記述であるため、その真意は当時の出来事を知る者でないと本当の理解はなかなか困難である。この本に対する私の理解・認識は、単なる自伝的なものではなく「経営書」に近い。「配布は幹部に限定したらどうか」と私は小嶋に提言したことがある。その『あしあと』に現代的解釈を加え、一般のビジネス書として世に問うたのが『イオンを創った女』なのである。

今回、小嶋の評伝を著すにあたって、あらためて小嶋の業績や人事に対する深い洞察・事柄が次代に継承されなかった理由を考えてみたが、それはひとつには小嶋は裏方・補佐役に徹していたということがある。もうひとつは小嶋があまりにも強い個性をもつがゆえに「小嶋さんだからできた」と属人的なものとして捉えられてしまうからである。

50年前に「経営人事」「戦略人事」の概念を確立した

確かにそうであることは否めない。強すぎる個性は時としてトップやラインの長から忌避されることがある。経営の暴走を抑制する立場を往々にしてとるため、平たくいえば煙たい存在なのである(とはいえ、弟・岡田卓也と対立していたわけではない。それどころか、卓也はことあるごとに小嶋の功績をたたえ、感謝を述べている。それは『イオンを創った女』を読んでいただければよくわかるはずだ)。

だからこそ50年前に小嶋は労務管理人事とは一線を画し、今日でいうところの「経営人事」「戦略人事」の概念を確立し、CHRO(最高人事責任者)の役割を立派にやり遂げることができたのだ。

『イオンを創った女』は、イオンの影の功労者・実力者小嶋千鶴子に焦点をあてた「評伝」としている。しかし、これは姉と弟の物語でもある。また、トップと参謀の絶妙なコンビの姿でもある。

あれだけの傑物はどうして出来上がったのだろうという素直な疑問を解くため、生い立ちをたどりながら「小嶋千鶴子」を作り上げたもの、なしえた業績などを振り返った。

小嶋の生き方には一貫しているものがある。一口にいえば「凛」とした屹立した生き方である。よいものはよい、いけないことはダメ、ひとの意見や風潮に左右されない、まっすぐな生き方である。