「感情的にならず、パートナーとして選手に意見を言います」

選手は自分の意見を持たず、監督のやり方にも疑問を持たない。いや、監督・コーチが自分たちのやり方に疑問を持たせないように、パワハラや鉄拳制裁を用いて、選手たちを“洗脳”する。それが中学、高校、大学に跋扈するカリスマ指導者の正体なのかもしれない。だが、ジュリアン氏の指導はまったく違う。

左端が、大迫選手。東洋大の選手とともに。(撮影=酒井政人)

「選手は自分の目標を持ち、コーチである私の責任は、それを守ってあげること。アスリートは、目の前のことに過剰な反応を示すこともありますが、もっと先のことを考えられるようにアドバイスするなど、未来までイメージさせてあげることがパートナーとしての私の役割だと思っています。そのため、アスリートの意見を常に聞くようにしています。自分のカラダですから、私よりも知っている。私はその情報をもらってプランをつくる。意見が異なるときもありますが、感情的にならず、パートナーとしての意見を出すことが正しいと思っています。良いアスリートになってほしくて協力しているわけですからね」

ジュリアン氏から指導を受ける大迫も、こう話す。

「一番大切なことは、自分がどうありたいのか。明確なビジョンをしっかり持つことです。それに対してのステップを自分で考えて、コーチと相談します。自分の意見を通すこともあれば、変わることもある。いずれにしてもベストな選択ができるような関係を築くことが大切じゃないでしょうか」

ジュリアン氏も学生時代は陸上競技の選手だった。そして、当時のコーチと同じようなスタイルの指導者になった。大迫は日本を出て最先端の練習環境に身を置き、日本人とは異なるアプローチのジュリアン氏に出会った。そのことが大迫を一皮むけさせ、今回の男子マラソン日本新記録=報奨金1億円にもつながったのだ。

「上下関係からフラットへ」日本のスポーツ界は変われるか

日本はどの競技でも総じて上から押さえつけるような指導者が多い。そう考えると、日本スポーツ界が“負の連鎖”を断ち切ることは、かなり難しいのかもしれない。

日本のスポーツ界は学校の「部活」を中心に発展してきた。

そこには明確な上下関係が存在する。いわゆる体育会系の世界だ。その中で身についた「礼儀」などは、日本的で美しい作法といえるかもしれない。しかし、スポーツをする上で“上下関係”はむしろ弊害をもたらし、昨今立て続けに起きるパワハラ事件の教訓と言えるのではないか。

監督・コーチが高校・大学の先輩(OB・OG)に当たれば、さらに意見は言いづらくなる。必然的にトップダウン式の指導になりがちだ。そして、監督は“裸の王様”になっていく。パワハラや体罰があっても、誰も止めることができないのだ。

日本のスポーツを変えるのは選手ではなく、指導者の“意識”だと筆者は思っている。

特に学生スポーツの場合は、試合で結果を残すことよりも、大切なことがあるはずだ。選手たちの“夢”をかなえるために、どんなサポートができるのか。そのために、大迫を世界トップ選手に育てサポートするジュリアン氏に象徴される「選手とフラット」というスタンスと距離感を深く理解することが必要なのではないだろうか。

(写真=AFP/アフロ)
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