星野君は命令に背いて、甲子園に出場停止となった

もともと、この「星野君の二塁打」は、道徳の教材のために書かれたものではない。日本国憲法が公布され、教育基本法が施行された1947年にこの物語を発表した原作者は、野球の話を通じ、民主主義的な態度というものは何か、あるいはスポーツの精神というものについて考えてほしかったのではないだろうか。

掲載誌の『少年』は1946年創刊の少年向け娯楽読み物雑誌であり、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズを看板にしていた。

また、原作は「甲子園の全国中等学校野球大会」、つまりいまの全国高等学校野球大会の地区予選決勝の話であり、星野君は「次の試合」でなく甲子園に出場停止となるのだ。当時の中等学校はいまの高校、つまり高校生の陥る葛藤の話を、あたかも自分のこととして小学校6年生に考えさせている。

しかも、これが道徳の教科書に使用されると、話の結末が、生きるうえでの守るべき規範という形で押し付けられることにつながりやすく、作者の意図とは違ったところで「監督の指示にはいかなるものでも絶対に従わなければならない」という全体主義的な結論が導かれかねない。

確かに野球の試合の場合にはそうかもしれないが、もっと広げて考えれば、人生のいかなる場合にも、上からの命令に従い続けるべきだろうか。命令や組織の「和」と称される暗黙の決まりが、必ずしも正しいとは限らない場合もある。この「星野君の二塁打」で、そうした広い議論ができるかどうかといえば、それは大いに疑問だ。

教科書でカットされたシーン

教科書に掲載されている「星野君の二塁打」の話は、いまの高校野球に相当する中等学校野球が小学生の少年野球にされているのをはじめ、原作を教科書用に都合よく編集してある。原作では、星野君が打席に立っている間の描写が細かく、彼の内心の葛藤が細かく表現してある。星野君は、決して安易に「ヒッティング」の判断をしたわけではない。

また原作では、監督が試合翌日に星野君に対する批判を始める前、キャプテンの大川君を呼びこんなやりとりを交わしている。(一部現代仮名づかいに変更)

「ぼくが、監督に就任するときに、君たちに話した言葉は、みんなおぼえていてくれるだろうな。ぼくは、君たちがぼくを監督として迎えることに賛成なら就任してもいい。校長からたのまれたというだけのことではいやだ。そうだったろう。大川君。」
大川は、先生の顏を見て強く、うなづいた。
「そのとき、諸君は喜んで、ぼくを迎えてくれるといった。そこで、ぼくは野球部の規則は諸君と相談してきめる、しかし、一たんきめた以上は厳重にまもってもらうことにする。また、試合のときなどに、ティームの作戦としてきめたことは、これに服従してもらわなければならないという話もした。諸君は、これにも快く賛成してくれた。その後、ぼくは気もちよく、諸君と練習をつづけてきて、どうやら、ぼくらの野球部も、少しずつ力がついてきたと思ってる。だが、きのう、ぼくはおもしろくない経験をしたのだ。」

教科書では薄められているが、監督は校長からの依頼だけでは引き受けなかった、部員の了承を条件に就任を決めた、という経緯が書いてある。作者のメッセージは、監督が出したバントのサインを守らなかったことの是非ではなく「みんなで決めたことは守っていこう」という「民主主義の原理」だったのではないか。