後継機の不振で、低迷の時代へ
近年の任天堂の業績を振り返ってみよう。1兆8000億円と過去最高の売上高を記録したのが、09年3月期。この時期は携帯型ゲーム機・ニンテンドーDSシリーズと、据え置きゲーム機のWiiが同時にヒットしていた。
リモートコントローラーで直感的に操作できるWiiは、先述したように新しい体験によってユーザーを魅了した。革命的だったのはゲーム機ビジネスが成熟する中で、新たなユーザーを獲得し、市場を活性化させたことだ。
Wii登場以前は、ゲームをやるのは利用時間が長いコアユーザーと、利用時間の短いカジュアルユーザーの2つの層だと考えられていた。これに対し当時の岩田聡社長は「お母さんに嫌われないゲーム機」のコンセプトを掲げ、家族全員で遊ぶというスタイルを提唱。結果、Wiiは従来の区分に囚われないユーザーを獲得して大ヒットした。
Wiiの後継機「Wii U」が売れなかったワケ
その後、任天堂は低迷する。ロケットスタートで売り上げを伸ばした主力商品のWiiシリーズが、徐々に失速したことがその一因だろう。ソフト開発費用は年々膨らむ傾向にあり、ゲームメーカーはその費用を回収するため、1つのゲームを異なるゲーム機で対応できるように開発する「マルチプラットフォーム戦略」を採るようになった。
Wiiシリーズのプラットフォームは、他社製のハードに比べて独自性が高い。ゲームメーカーにとって開発効率の低下を招き、だんだんWii向けのソフトを作らなくなってしまった。またハードコアユーザーの中で、「Wiiの楽しさは十分にわかったから、また王道の没入感の強い本来のゲームをやりたい」という揺り戻しが起こり、プレイステーション3やXbox360へと興味が移っていった背景もある。
そして12年、Wiiの後継機として発売したWii Uが売れなかった。これに限らず、任天堂の家庭用ゲーム機は後継機が苦戦するという法則が見られる。新しい機能を付加しても、基本的なアーキテクチャーが同じだと、新鮮味に欠けるからだ。
2Dから本格的な3Dゲーム機に対応したニンテンドー64や、2画面になったニンテンドーDSは、明らかにアーキテクチャーが違った。前述したように任天堂のゲーム作りの基本は「デジタルのおもちゃ箱」である。それにユーザーは驚きや感動を覚え、ヒットするのだ。
もう1つ任天堂にダメージを与えたのは、スマホゲームの台頭である。