2つ目は、儲け方の「センス」です。善次郎は両替商を始める前に、日本橋で乾物商をします。当時、この業界では値切り合戦が盛んでした。しかし、彼は「いい商品を、できるだけ安く」。でも、おまけは一切しませんでした。乾物の表面の汚れをきれいに取り除き、良質な包み紙で手渡しする。値引きより、心を込めて「いいものを安く」。それこそが客の信用を勝ち取る最大の方法だという商人としてのセンスが備わっていたのです。しかも、経費を切り詰め、客に還元する。現代にも通用する試みもしていました。
両替商としてのセンスも突出していました。商人の中には小銭ばかり集まって困っている人が少なくない。そこで善次郎は荷車で店を回って小銭を両替し、地道に手数料を稼ぎました。そうやって儲けを出し、両替商として店を構えた彼は、小判の包み替えの業務を積極的に行いました。市中に出回る金や銀の小判の真贋を判定し、一定の枚数で封印する作業です。贋金リスクが高いため、同業者は敬遠していたのですが、小判の真贋判定が得意の善次郎はあえて引き受け、高い信用を得ることに成功したのです。確かなスキルと、ニッチなビジネスを嗅ぎ付けるセンスで信用と利益を生み出したのです。
3つ目は時代と情報に関する「感度」のよさです。小判はすべて金でできているわけではありません。金と銀を定められた混合比率によりつくられます。幕府は財政状況によりこの混合比率を変えるわけです。財政が厳しくなると金を少なくした悪貨をつくります(=「吹き替え」)。そのため、金の含有率によって小判の相場が上下する。両替商には、小判の真贋(金の含有率)を見極める力が求められます。その判定には、硯のような那智黒という石に小判をこすりつけ、残った痕を基準となる痕と照合する方法があります。善次郎はこの方法だけでなく、独自の見極め方を持っていました。金山、銀山から運ばれてきた地金を精錬する金座、銀座の職人から、「吹き替え」される時期などのインサイダー情報を得ていたのです。
善次郎の店・安田屋(のちに安田商店と改称)が最も飛躍したのは、明治時代に入って、新政府が最初の紙幣である「太政官札」を発行したときでした。激動の時代です。新紙幣の価値は低く、多くの両替商は扱いたがりませんでした。両替商が預かった太政官札は最初は100両につき80両の価値がありましたが、その後、39両にまで下落。担保流れにした両替商さえありました。