「暗黙の了解」が危ういからビデオ判定が始まった

いっそ、すべての試合を一発勝負のトーナメント方式にしてしまえば、こうした問題は起こりようがない。あるいは、バスケットボールのような時間制限やハンドボールにあるパッシブ(消極的な)プレーの反則を設ければ、ひたすらボールをキープして、時計の針を進めるような戦い方もできなくなる。

サッカー発祥の国イングランドでは、「ルールブックに書かずとも、そんな卑怯なマネ(時間稼ぎのボールキープ)はしない」という暗黙の了解が成立しても、それが世界中に広がれば、多様な価値観にさらされてしまう。あの「バレなきゃ、OK」というシミュレーション(わざと倒されたように見せかける偽装工作)も、あまりにも目に余る——という理由で厳しい罰則が設けられるようになった。

今大会から導入されたビデオ判定、いわゆるVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)も、かつて「神の手」とうそぶき、己のゴールを正当化してみせた巨星ディエゴ・マラドーナのような「不法行為」を取り締まるうえで一役買っている。フェアプレー精神を説くだけでは如何ともしがたいのが現実だろう。

西野監督の「究極の選択」を支持したくなる理由

不都合があれば、ルールを変える、あるいは新たにつくる。そうするほか、ないのかもしれない。こんな御託をいくら並べてもポーランド戦の戦い方を正当化できることにはならないだろうが。それでもなお、個人的には西野監督の言う「究極の選択」を支持したい。

賭けに失敗していれば大バッシングにさらされていただろう。その覚悟をもって決断したわけである。何か大きなものを手に入れようとするなら、勇気をもってリスクを冒すしかない。

ローリスク・ハイリターンの理想を追えるのは、ひと握りの強者だけだ。結果的に日本が「負けても2位通過」という状況に持ち込めたのは、それまでの2試合で守りに回らず、リスクを取って勝ちに行く戦いをしてきたからでもある。

いくら監督自身がリスクを冒しても、笛吹けど踊らず——では仕方がない。その意味で選手たちを「その気」にさせ、リスクを恐れぬ戦い方を実践させたマネジメントも見事。そして、一世一代のギャンブルに勝ち、主力を温存してコンディションの低下(体力の消耗)を最小限に食い止めるメリットまで手にした。

決勝トーナメント1回戦に向けて、これ以上ない準備ができたと言ってもいい。ポーランド戦で先発を6人も入れ替えた理由について明言を避けていたが、それこそ本気でベスト8を狙っていることの表れだろう。限りなくベストに近い状況で「決戦」を迎えるために。