【松嶋】なぜかというとスポーツは子供の時からやっているから、23歳でも15年のキャリアがあるわけです。23歳だと日本である程度成功してから海外に行くと、「なんで俺のプレーがわかんないんだ」ってなってします。だけど、若いまま行くと友達や同僚にバカにされても「まだまだ」って受け入れて変化できる。だから視座を高めに持って、かつ体験して自分で変わる事ができる年齢が23歳以下になってしまう。
挫折の中で本当のグローバルリーダーを学ぶ
【長谷川】だから僕は苦労したのかもしれないですね。僕は31~32歳の時にシンガポールに行ったんです。小さい頃アメリカに住んでいたし、英語も話せるし、同じ外資系だし、まあいけるだろうと思っていたらめちゃくちゃ苦労して、その時はブラウンという電動シェーバーやドライヤーのブランドのアジアの責任者として行ったのですが、行ってみるとチームがとんでもなくダイバースなんです。オーストラリア人、ドイツ人、シンガポール人、韓国人、中国人、それに日本人など多様で、自分では外資でグローバルで育っているって思っていたけど、実はいかに日本的な“阿吽の呼吸”に寄って立ったスタイルで仕事をしていたのかをまざまざと思い知りました。
アジア以外のマーケットも担当だったのでよくわからないことも多くて、それでも日々ディシジョンメイキングしなきゃいけなかった。韓国、シンガポールなどで各々別々の問題があったりして、自分のキャパシティも全く追いつかなくて。最初の半年は後頭部にハゲができるくらいまで頑張りました。
でもやり始めると結局1対1のリレーションシップが大事で、ロジカルに自分の指示やガイダンスをする方が文化的なバックグラウンドが違っていても戦略をちゃんと語りきれることに気づきました。この本でも書かれていますが、失敗から学ぶっていう意味ではすごく大きかったです。挫折の中で本当のグローバルリーダーとはこういう事かと学べたので今は感謝してます。
京都大学経済学部卒。2002年にプロクター・アンド・ギャンブル入社。「パンパース」などのブランドマネージャーを経たのち、シンガポールにて「ブラウン」や「SKII」などのリージョン責任者となる。12年、楽天入社、グローバルマーケティングの責任者を経て、14年より上級執行役員としてグローバルおよび国内のマーケティングを統括。15年よりフェイスブック ジャパン代表取締役。
松嶋啓介(まつしま・けいすけ)
“KEISUKE MATSUSHIMA”オーナーシェフ。フランス芸術文化勲章、農事功労章シュバリエ。高校卒業後、辻調理師専門学校で学びながら、酒井一之シェフの“ヴァンセーヌ”に勤務。20歳で渡仏。フランス各地のレストランで働き、2002年25歳で南仏ニースに“Kei’s passion”をオープン。外国人シェフ最年少の28歳でミシュランガイドの星を獲得。