「誰もが羨むエリートの道のり」だが…

豊田剛一郎。話題のオンライン診療のサービスなどを手がけるスタートアップ企業、メドレーの「代表取締役医師」だ。

開成高校から東京大学医学部を経て、脳神経外科医に。米国留学中にマッキンゼー・アンド・カンパニーへ転職。そして、2015年、メドレーの共同代表に就任した。

本書は、豊田が自らの歩みと「野望」を記した初の著書。描かれるのは、誰もが羨むエリートの道のり──だが、偉ぶったところはなく、むしろ恐ろしくまっすぐで、爽やかなのに驚く。

「わからないことをわからないと言える。それが自分の強みだと思います」

医師時代、激務の中、本来医療が求めるべき「患者の幸せ」を置き去りにした治療が目的になっている現実に疑問を抱く。さらに医師不足、膨らみ続けて40兆円を超える医療費……課題に直面した。「環境を変えて新しいことをやるしかない。外から日本の医療を変えたい」と素直に思った。

上司だった木村俊運(現・日本赤十字社医療センター)に、「やめるなら十字架を背負う前に医者をやめたほうがいい」と言われ、尊敬する森田明夫(現・日本医科大教授)からは、眼の前の患者ではなく「医療を救う医者になりなさい」と声をかけられた。転身の、何よりの後押しになった。

口説き文句は「自分の名前で勝負しろ」

「医者は、やれることは全部やる。合格点が90点でも、91点をとりにいくんです。対して、マッキンゼーも激務ですが、やらなくていいことはやらない。『スコープ(対象範囲)かどうか』をよく確認しました。クライアントに真に必要なことに注力し、チームで解決する。ミーティングでは、自分のことを隠さないし、誰もが自分の強みをまず伝える。反対に、わからないことはわからないと伝えないといけません。『医者は何も知らないんだな』なんてよく言われました(笑)」

豊田はマッキンゼー2年目に次のステップを選んだ。小学校時代の塾の友人、瀧口浩平の誘いで、メドレーの共同代表に。瀧口の口説き文句は「自分の名前で勝負しろ」だった。

オンライン診療は、高齢などの事情で通院できない人のために、ますます必要性が増している。診療報酬の改定など法律面、制度面の整理が進むとともに、診療を支える技術的な進歩も著しい。メドレーも、この1年で従業員数は倍になり、1フロアを借り増しした。まさにいま、豊田は勝負している。

豊田剛一郎(とよだ・ごういちろう)
メドレー代表取締役医師
1984年、東京都生まれ。東京大学医学部卒。脳外科医からマッキンゼー勤務を経て2015年共同代表に。
(撮影=宇佐美雅浩)
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