いま、ミッキーを信じようと思ったら、わざわざディズニーランドに入るしかありません。面白いことに、渋谷のディズニーショップでは信心が発生してこない。「本物」の近くに行かないとダメだからです。

そう、ディズニーランドに「本物」がいるのが(3)以上の信心発生のネックになってるんですよ。

信じる(2)や(3)は概念です。舞浜の遊園地にいる着ぐるみを「本物」だと言い張るのは(1)の行為です。でもそれは不可能。あんな生物がいるはずがないから。

(1)をはっきりあきらめない限り、絶対に(2)や(3)の高みにはたどり着きません。ミッキーをいま以上に信じさせるためには、逆説的でもあえて「このミッキーは着ぐるみです」と認めるしかないんです。

ミッキーはディズニーが想像した夢のシンボルです。だから世界最高のアクターが入っています。ではミッキーの正体は中身のアクターでしょうか? 着ぐるみでしょうか?

いいえ、違います。

大勢のスタッフが作り上げたミッキーの衣装を、最高のアクターが最高のレッスンの果てに選ばれて着込む。それだけでは、まだミッキーではありません。

ディズニー、既存の収益構造は限界に!
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ディズニー、既存の収益構造は限界に!

ミッキーがステージに上がる。パレードで手を振る。みなさんが手を振りかえして「ミッキー!」と叫ぶ。この瞬間、ミッキーは存在します。夢と想像の象徴として、この世界にミッキーマウスは降臨するのです。

ミッキーマウスは、ディズニーが想像し、私たちスタッフが支え、みなさんが手を振ってくれたその瞬間だけこの世に存在できる奇跡、『夢の象徴』なんです。

ここまで言い切らないとダメでしょう。このロジックなら(3)はOK、上手くすると(2)の「愛」と同レベルまで持っていけます。

ミッキーではなく、「ミッキーを信じる自分の純粋さ」ならみんな喜んで信じてくれます。信じることにそれぞれ利益があるから。気持ちがいいからです。

まずお客様の利益・気持ちを第一に。ディズニー社100年の計はここからではないでしょうか。

※すべて雑誌掲載当時

(撮影=的野弘路)