公開から1年以上たった現在も上映が続いている映画『この世界の片隅に』。アニメ史に詳しい岡田斗司夫氏は「ジブリ映画に対する強烈なアンサーとなる画期的な作品」といいます。そしてその新しさはビジネスモデルにも及んでいます。岡田氏が「これから日本のアニメ業界には未曾有のゴールドラッシュがやってくる」という理由とは――。
(c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

戦争に負けたとわかった途端、すずだけは怒り出す

前編では、アニメーションとしての『この世界の片隅に』について語りました。今回は『この世界の片隅に』の深層構造、そして制作プロセス自体が、ジブリに対するアンサーになっていることを解説していきましょう。

まずは、深層構造から。

映画の冒頭では、森永のチョコレートの看板が出てきますし、街はクリスマスで賑わっていました。それが戦争が激しくなるにつれ、豊かな社会からどんどんモノがなくなっていく。それでも、すずたち庶民は工夫して代用食をつくったりして、一所懸命耐えています。

砂糖は手に入らない、魚も手に入らない。雑炊は水っぽくて米なんかほとんど入ってもいない。すごく丁寧に日常を描きながら、そういう状況を笑いとともに紹介していきます。観ている間はけっこう楽しいけれど、すずたちは理不尽さを笑うことで耐えようとしている。楽しいわけがない、じつは誰にとってもすごくイヤなことなんです。

天皇陛下による玉音放送を正座して聞いていたすずの家族たちは、戦争に負けたとわかった途端、「はあ、終わった終わった」と事実を受け入れます。ところが、すずだけは1人立ち上がって、ものすごい勢いで怒り出す。

「最後の1人まで戦うんじゃなかったんかね! 今ここはまだ5人おるのに! まだ左手も両脚も残ってるのに!」と。

理不尽を乗り越えて大人になった「すず」

すずも本当は耐えるのはイヤだったんですよ。では、なぜ彼女は理不尽さに耐えていたのか。

それは、自分にはわからないけれど戦う理由や正義があると思っていたから。そんなことは全部嘘であり、自分たちが数年間重ねてきた我慢は全部無駄だったと知って、すずはすごいショックを受けます。

家の外に出て街を見てみると、太極旗(朝鮮独立運動のシンボルで、のちに韓国の国旗となる)が翻っている。ついこのあいだまでそこら中に挙がっていた日本の旗なんか、誰も挙げていない。戦争に負けたから。

そんな光景を見て、すずは「あーっ!」と気づく。今自分たちは力に負けて支配されようとしているけど、それはこれまで自分たちが誰かを力で支配していたからなんだと。自分たちが負けたことを喜んで旗を立てる人もいるんだ、そんな本当のことを知らずに死んだほうが幸せだったかもしれない、とすずは言います。

この理不尽さの具合が、もう本当に言葉にならないくらい、心に迫ってくるんですよ。でも、そういう理不尽さが人を大人にするわけです。

物語の最後、すずが戦災孤児の女の子を拾って、自分の家に連れて来ることができたのも、すずがそういう理不尽さをどんどん呑みこんで大人になったからなんです。