「抗日ドラマの撮影で大切なことは?」

と聞くと、

「リアリティー、真実味を出すことだね」

と断言。だが、日の丸を多用して悪辣な日本兵ばかりが登場するドラマのどこに「リアリティー」があるというのだろう。いや、彼のいう「リアリティー」とは、「客観的事実」という意味ではなく、単に視聴者にドラマの世界を信じこませるための演出という意味で言っているのだろう。

32歳の別の男性役者にも話しかけたが、やはり似たような回答だった。ただ一つ違ったのは、

「日本のことは嫌いだよ。日本は戦時中、中国人に対してとてつもない大罪を犯したんだからな!」

とステレオタイプに言い切っていたこと。本当に日本のことが嫌いみたいだ。20歳の役者のノンポリ然とした反応とは明らかに態度が異なったが、これは世代の違いかもしれない。32歳の彼が中学生だった頃は、まさしく江沢民政権が反日教育を推進していた時期だ。

ほかには、

「女房は実家で暮らしているから、俺は毎晩一人で寂しいんだよ」

と孤独を訴えてくる30代の男性役者もいた。中国では子育てなどを理由に夫婦別々に暮らすケースも珍しくない。皆それぞれの事情を抱えながら、この仕事をしているのだった。

淡々と作られる反日作品群

ロケを終えて再び4時間かけて上海の自宅へ着くと、携帯電話に着信があった。一人暮らしの侘しさを嘆いていた、同世代のあの中国人役者からだった。

「映画村に来たら連絡してくれ。今度はメシでも食おう」

彼はその後もウィーチャット(=微信。中国版LINE)で連絡をくれ、

「いつか日本に遊びに行くよ。西谷はいつまたこっちに来るんだ?」

とずいぶん親しげに話しかけてくる。

個人として接する限り、彼らは必ずしも反日的ではなく、むしろ日本人の私に対して友好的ですらあった。しかも監督は日本の焼酎が好き。反日コンテンツ作りの中心にいる中国人たちは、不思議なぐらい反日ではなかったのだ。

でも、彼らが反日ドラマの制作を支えているのは紛れもない事実。ニュートラルな人々が淡々と反日作品をこしらえ、それによって社会全体にそこはかとなく反日感情が共有されていくという構図があった。