患者側の理由――正常と異常の境界があいまい

2つ目は本人や家族など患者側の理由です。そこそこ人生を過ごしてくると、「憂うつ」という感情はだれもが必ず経験します。ではこの憂うつな気分とは、どこまでが正常で、どこからが異常なのでしょうか。

うつの初期症状は、正常時にも起こる一時的不調とごく類似しているため間違いやすいのです。つまり正常と異常の境界があいまいなのです。そのために「そのうち治るだろう」とか「気のせい」と、甘くとらえがちです。異常かどうかを判断するひとつの基準は、そうした気分の不調が2週間続くかどうかだと言われています。

2013年に改訂された代表的診断基準の一つであるDSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断と統計マニュアル第5版:アメリカ精神医学会)は、正常と思われる悲哀(喪失・死別)反応も2週間持続すると、場合によっては大うつ病とできると大胆に変更し議論を巻き起こしました。私も、親しい人を失った精神の反応は、うつ病そっくりであることは首肯できますが、回復の時間は個人差があると思います。

私は、個人の経験も含めて、死別反応に関してだけは、精神的不調が6~8週間続くかどうかを診断の基準のひとつにしています。たとえば仏教では「初七日」から四十九日に至る七七日の儀式など民間の知恵もありますね。

このように正常と異常の境界のあいまいさこそ腹痛などと違い、患者本人や家族にうつを見えなくしています。結局、「動けなくなる(抑制が強くかかると精神医学では表現される)」という強い症状や、「刃物をじっと見つめている」などの、家族もわかるほどに状態が悪化するまで気付かれないことも多いのです。

医師側の理由――体の不調が先行する

3つ目は医師側の理由です。うつ病の8~9割は、体の不調を訴え一般科(内科や婦人科などの精神科以外)を受診するという驚くべき報告があります。これらは「仮面うつ病」と呼ばれています。

そのとき、一部の医師は、うつ病という知識が希薄なため、適切な診断を下せないようです。一般医にとって、うつ病の診断が難しいのは、医学的症状や科学データ(肝炎であれば、黄疸とAST値が高いなど)がほとんどない病気だからです。またうつ病の診断では、面接で微妙にただよう独特の雰囲気を感知せねばならず、最低数年は精神科医として厳しい訓練を受けなければ、感覚が身につかないということがあげられます。

私が若い頃指導を受け、尊敬する精神療法の達人・神田橋條治医師は「うつ病を気分で判断すると間違いやすいよ~」と口を酸っぱくして言っておられました。そうでしょう。受診する行為自体が、心配で、不安で、暗く不快な気分になるものですから。

わが国は自由標榜制なので、開業する際にどの科を看板に掲げるかは自由です。最近は、うつ等の診断の訓練をあまり経ずに、心療内科や神経科という標榜科目で開業する先生も多い印象があります。「デモシカ精神科医(心療内科医など)」と私は心の中で呼んでいます。

また一般に精神科以外の科の医師は、患者さんの不調を聞いて、診察後の患者さんとの面談に際して、何か説明をしなければならないという強迫観念があるようです。代表的な説明は、「どうもない(異常は見つからない)」「気のせい」のどちらか、あるいは総花的な「自律神経失調症」「更年期障害」などでしょう。患者さんは、いずれの説明もわかったような気にさせられますが、結局、何も本質に迫らず、的外れの処方によっていたずらに時間が経過していきます。