本書のおもしろさは、それが深センでのモノ作りの苦労と同時に、それを使おうとする日本企業などのダメさかげんに対するかなり厳しい批判になっていることもある。日本の決断の遅さ、中国にいるのに日本人ばかりで固まり何も学ばない単なるコストセンターとしての海外駐在、深センのメリット活用を阻害する柔軟性のなさ、変な優越感と上から目線――それは冒頭に述べた、日本の製造業が直面しているさまざまなトラブルとも通底するものだ。

日本企業が忘れた、アイデアと商品化の「速度」

いまだに深センをはじめ中国産というと、低品質だ、安かろう悪かろうだ、使えない、信用できない、といった揚げ足取りに終始して、日本ものづくり幻想に安住したがる人も多い。でも本書を読むと、もはやそんな状況ではないことがわかる。すでに中国での生産はかなりの品質も担保できる。ただしそれなりの対価が必要になるというだけだ。また失敗に鷹揚(おうよう)でこれからの可能性に着目して、事業トラブルに直面した著者を受け入れてくれる中国企業に対し、昔の失敗をグチグチあげつらうだけの日本企業への論難もある。

日本の経営者は、しばしば松下幸之助などのつまらない(とぼくは思う)経営哲学本などを読んで悦に入る。でもおそらく、松下幸之助で見習うべきなのは、そんな変な経営理念だのではないはずだ。大正時代に勢いだけの思いつきで廉価な二股ソケット製造法を考案し、それを速攻で商品化して売りさばいたアイデアと商品化の速度のほうなのだ。経営理念だのなんだのは、それが成功した後のあとづけの理屈でしかない。

たぶん深センの現状、そして藤岡のこの本が教えてくれるのも、まさにその、すばやく条件にあわせてさまざまなものを作り込んでいく能力が持つパワーであり、そしてそのプロセス自体が持つおもしろさだ。経営理念なんてのは、そのプロセスの中にしか存在しないのだ。

いまや、各種の深セン見学ツアーなども増えてきた。読者のみなさんで、まだこの街を訪れたことがない人は、ぜひプライベートでも業務視察でもかまわないので、一度観てみてほしい。香港から電車でわずか1時間弱だ。できれば、事前によく調べて皮相的なレベルで終わらない訪問にしてほしいけれど、でもまずはQRコード決済や街を走り回るホバーボードや飛び交うドローンに驚くだけでもいい。そして実際に訪れる前と後で、本書をざっと読んでみてほしい。日本製造業の将来に不安を感じている人なら、何かしら得るものがあるはずだ。