嘘つきは見抜かれる

小手先のテクニックを離れ、心からの誠意を伝えることも大事です。準備のための数カ月は、その誠意を醸成するまでの期間だということもできるでしょう。

私の場合は、まず依頼主である企業や商品をとことん好きになるところから始めます。民営化から間もないJR東日本の仕事をさせてもらったときには、もともと電車小僧だった私が、電車や新幹線をよりいっそう大好きになりました。「自分たちは日本一の私企業になる!」という、清新な気概にあふれたJR東日本という会社にも強い共感を覚えました。

力点を置くのは「情」を伝えること
力点を置くのは「情」を伝えること

「好きになる」ことで、その会社が発信すべきポイントや解決すべき課題は何なのかが見えてきます。そのうえで宣伝の具体論を導き出していくのです。

現代の広告はマーケティングなど精妙な理論の上に立脚しています。また、本来の性質から、広告とは利益をもたらすものでなければなりません。一方、最終的には受け手の情に訴えかける――つまり心を動かすような表現が使われるのが広告です。その中で、私たちに求められている役割とは何でしょうか。

論理性やマーケティング理論といった「理」の部分と「利」=利益の部分に関しては、クライアントがすでに十分な量の情報を蓄積し、精密な解析を行っています。すると、私たちに期待されているのは、主に「情」の部分だということになります。

プレゼンの1時間では「理」や「利」を説くことはもちろん大切ですが、それ以上に力点を置くのは「情」を伝えるということです。

なぜなら「理」だけでは人の心は動きませんし「利」を追求するだけの商売も長続きはしないでしょう。プレゼンの場においても、理路整然とした提案をするとか、喋り方がアナウンサー並みにうまいということは、そこで選ばれるための決定的な要素ではありません。「本当にこの商品が好きだ。だからこの宣伝プランはこうでなくちゃいけない!」という気持ちを、誠意をもって伝えることが大切なのです。

人柄は見抜かれます。私が嘘つきだったり卑しい奴だったりしたら、プレゼンの中でも必ず相手に伝わります。私の経験から1つだけ例をあげましょう。

30年ほど前に、私は初めてクリエイティブ・ディレクターとして宣伝すべてを取り仕切る仕事を任されました。クライアントはトヨタ自動車販売(現在のトヨタ自動車)、テーマは新型車の発売キャンペーンでした。

「プレゼンに必要なのは情と理と利。クリエーターは情に傾きがちだが、私はクリエイティブ・ディレクターとして理や利を考慮に入れ、三者の重なる地点に立っている」

「プレゼンに必要なのは情と理と利。クリエーターは情に傾きがちだが、私はクリエイティブ・ディレクターとして理や利を考慮に入れ、三者の重なる地点に立っている」

気負っていた私は、プレゼンで「このクルマの性格上、こんなキャンペーンを行うべきです!」と打ち上げました。ところが、それを聞いていたトヨタ自販の宣伝部長が「大島君、それ、ちょっと違うんじゃないの」と制しました。

私の理解では、そのクルマの性格はスポーティなもので、購入時の意思決定者は父親だと考えていました。その前提ですべての要素を組み上げていたのです。しかし、そのクルマは実際には乗り心地がいいファミリーカーで、意思決定者は母親や子どもだというのです。

明らかに私の誤解でした。真っ青になって「すみません、私の間違いでした」と謝罪すると、名物宣伝部長といわれたその方は、「大島君、1週間あげるから、もう1回やってみなよ」と言ってくれました。結局、新婚だった私の家へトヨタ自販の宣伝課長をはじめ同世代の人たちが夜中に集まり、お酒を飲みながら、わいわいと新しい宣伝プランを積み上げていったのです。

口幅ったい言い方ですが、プレゼンの場で私が真摯に、誠実に間違いを認めて謝罪をしたからこそ、宣伝部長はもう一度チャンスをくださったのです。また、そうやって若手を育ててやろうという気持ちがクライアントの側にあったということも私には幸運でした。どんな仕事でも同じだと思いますが、すべて成功することなどありえません。私自身もこのようにしてトライ&エラーを繰り返し、失敗から多くを学んできたのです。

(大島征夫 クリエイティブ・ディレクター/面澤淳市=構成 芳地博之=撮影)