いったい日本人は何を信じてきたのか
天皇の象徴としての行為に対して、保守的な立場の人間たちが積極的な評価を行わず、むしろ否定する傾向が強いのも、そうした人間たちのなかには、仏教を外来の宗教としてその価値を否定する考え方があるからではないだろうか。保守的な天皇観の背景には、江戸時代に生み出された、仏教を排斥しようとする国学や復古神道の考え方がある。
今回、そのことがはからずも露呈したと言えるわけだが、そこには、日本における宗教の歴史、それと密接に関係した天皇の歴史、そして、この両者の関係を根本から変えた日本近代の歴史の本質的な部分がかかわっている。
その実態を明らかにするためには、天皇の信仰がいかなるものかを見ていかなければならない。そうした信仰が天皇のなかに生き続けていなかったとしたならば、果たして現在の天皇は、日本国の象徴、日本国民統合の象徴として活動を続けることができたであろうか。その疑問さえ浮かんでくるのだ。
さらに言えば、天皇の信仰を問うということは、日本人全体の信仰を問うということにもつながってくる。天皇の信仰は決して個人的なものではなく、公的な性格を持たざるを得ない。国民が支持するような信仰でなければ、それを保ち続けることは難しいはずだ。
いったい日本人は何を信じてきたのか。天皇の信仰を問うということは、その問題にも通じていくのである。