借金。売れない日々、しかし絶望はしない
2億円の負債を抱えたのは、映像制作事業で失敗した46歳のとき。勤め人では返済できない。さてどうしようと考えて、これはベストセラーを出して借金返済に充てるしかないと初めて小説を書き始めました。周りからは「自己破産してもう一回やり直しなさい」と言われたけれど、借りた金がチャラになるなんてそんなバカな話があるかと、自己破産はしませんでした。
「オール讀物」で新人賞を取ったものの、そこから『あかね空』で直木賞を取って小説で食えるようになるまでの5年間は、本当に生活が苦しかった。でも、一度も死にたいと思わなかったし、絶望もしなかった。
あの頃、俺を支える杖になってくれたのが、先輩から教わった「怖いものは食え」という言葉。蛇を怖がって逃げていると、どこまでも追いかけてくる。しかし蛇に向き合って食ってしまえば、目の前から恐怖は消えてなくなる。愚痴っても祈っても借金は減らない。
そんな暇があったら一文字でも面白い小説を書いて「借金を食う」しかない。そう思って、編集者から何度ダメ出しを食らっても書き続けました。
俺たち家族が暮らしている江東区には砂町銀座といういい商店街があって、見切り品は100円のものが半値くらいで買えるんです。つまり工夫をすれば、1日1000円でも倍以上の価値がある生活ができるわけですよ。かみさんはここの「魚勝」っていう魚屋に通いつめて、あらしか買わないから陰で「あら女」って呼ばれてたんだ。
マンションの電気を止められたこともありました。家主さんはいい人だったから家賃を待ってくれたけれど、電力会社はそうはいかない。でも、俺らが「しょうがねえよ、電気代を払ってねえんだもん」って開き直ってるから、小僧たちも笑って暗がりを楽しんでいた。そこで親が不安がっていたら、小僧にも伝染していただろうね。