選挙戦には「冷酷非情な手法」がつきもの

さらに櫻井氏は返す刀で具体的にこう批判する。 

「3氏はまた、破壊はしても、構築しない点で共通している。小池氏は1年余、メディアの注目を集めたが、豊洲も築地もいまだに混乱の中にある。1年余り、間近で氏の仕事ぶりを見つめた都庁職員の87%が豊洲、築地に関する小池氏の方針を『評価しない』と断じ、6割近い職員が小池知事に「落第点」をつけた(『月刊Hanada』有本香)。地道な政策実現能力という、重要な資質を氏は欠いているのである」

都の職員が落第点を付けたという話は知らないが、築地、豊洲市場のことはその通りだと思う。

しかしここで櫻井氏の論法にすんなり納得するわけにはいかない。選挙戦は「勘の良さ」や「独断専行」が必要になる。ときには「冷酷非情な手法」も使わなければならない。それは小泉純一郎元首相の郵政民営化を目指した総選挙を思い出してみればよく分かると思う。

しかも選挙で勝たない限り、いくら「国難だ」「国民を守れ」と叫んでも、己の政策を実現することはなかなか難しい。

これからも櫻井氏が辛辣に小池氏を批判するならば、一度、テレビで小池氏と対談してみてはどうだろうか。2人ともテレビのキャスターを務めた経験がある。櫻井氏の批判が妥当なのかどうか。検証する機会になるはずだ。

「自己都合解散」「私物化解散」は言い過ぎだ

さてここからは、今回の衆院選挙を原点から考える意味で、衆院が解散された翌日の全国紙の社説(9月29日付でいずれも大きな1本社説)を読み比べていこう。

まずは「『権力ゲーム』でいいのか」と見出しを付けた朝日新聞。「言論の府から言論が消えた。悪しき例が歴史に刻まれた」と大上段に書き出し、次に「安倍首相が臨時国会の冒頭、衆院解散に踏み切った。首相の所信表明演説も代表質問や予算委員会もなく、北朝鮮に非難の意思を示すはずだった国会決議も見送られた」と指摘する。

さらに「首相は8月の内閣改造後、本会議での演説に臨んでいない。そんな状況での解散は戦後初めてのことだ。国民に解散理由などを説明する恒例の記者会見も、きのうはなかった」と安倍政権を非難する。

そのうえで「首相の狙いは明白である」と続け、「森友学園・加計学園の問題をめぐる野党の追及の場を消し去り、選挙準備が整っていない野党の隙を突く。今なら勝てる。勝てば官軍の『権力ゲーム』が先に立つ『自己都合解散』である」と書く。

さらには「民意を政治に直接反映させる民主主義の重要な場である選挙を、権力維持の道具としか見ない『私物化解散』でもある」と攻撃する。

「権力ゲーム」まではいいが、「自己都合解散」「私物化解散」は言い過ぎではないか。