安倍首相が大事にしてきた「コアな保守層」

安倍氏は2012年暮れに首相に返り咲いたのは、自民党支持層の中でも保守的な層が粘り強く支援してくれたからだと信じている。そして、4年8カ月の間、その層を大切にしている。だから13年12月、周囲の反対を押し切って靖国神社を参拝。その後も中国、韓国には譲歩し過ぎない姿勢を貫き、内政でも保守的な政策を続けてきた。

そのコアな支持層は、野田氏や河野氏を重用する人事を行い、改憲スケジュールを白紙化するような言動を行った安倍氏に失望している。そして、恐らく8月15日、安倍氏や閣僚が1人も靖国を参拝しなかったことに不満を持っている。

この状況に危機感を持つ安倍氏は、コアな人たちの支持をつなぎ留めるためにも、再び改憲に向けてアクセルを踏むタイミングをうかがっているとみてよさそうだ。

安倍氏を代弁するように、自民党の高村正彦副総裁は15日行った時事通信のインタビューで、臨時国会への改憲原案提出方針について「できればそうしたい。最初からスケジュールを放棄するのはよくない」と発言している。来年の自民党総裁選で安倍氏の3選支持をいち早く打ち出し、党内の改憲議論の司令塔でもある高村氏は、安倍氏と連携をとりながら発言をしている。

3日の安倍氏の「スケジュールありきではない」と15日、高村氏の「スケジュールを放棄するのはよくない」。2つの発言の微妙な違いからも、改憲に対し再度アクセルを深そうとしている気配が感じ取れる。

狙うのは31年前の再現か

1986年、当時首相だった中曽根康弘氏は7月の参院選にあわせて衆院を解散し衆参同日選を行うとの観測を否定し、野党側が油断したところで解散に打って出た。後に中曽根氏が「(86年の)正月からやろうと考えていた。死んだふりをしていた」と語ったことから「死んだふり解散」として戦後政治史にその名をとどめている。

この中曽根氏にあやかり、何年か先に「2017年夏も改憲は全くあきらめていなかった。死んだふりをしていた」と安倍氏が語るようなことになるのだろうか。と、すればこれは「死んだふり解散」ならぬ「死んだふり改憲」として長く語られていくことになるのだろう。

(写真=時事通信フォト)
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