1ラウンド2分間、山場をつくり楽しませる

プロデビュー以降、5戦目、06年4月に開催されたJWBC日本ミニフライ級王座戦で勝利。池山さんは日本チャンピオンとなる。

(上)応援してくれている人たちに勝つことで恩返ししたい(中央)試合が決まったら、相手に勝つことを考えてやるだけ。その先は考えない (下)女子ボクシング人口を増やしメジャーなスポーツにしたい

07年11月、WIBA(女子国際ボクシング協会)世界ミニマム級王座戦を制し、世界チャンピオンに。これは岡山市郊外にある県卸センターのオレンジホールで開催された。

「それまで、ボクシングをすることに反対していた母が初めて観戦に来て、みんなが応援してくれているのを知り、ようやく認めてくれました」

もっとも父親は、「入院生活が長く、家にいなかったので、私がボクシングをしていることは、知らなかったと思います」。

この年、女子プロボクシング界に変革の波が押し寄せる。JBCとJPBAが女子プロボクシングのライセンス発行からルールの統一、興業などの管理に乗り出し、JWBCもその傘下に入ることに合意したのである。

世界王者には年齢制限を設けないという特例

2008年、池山さんは新規にJBCのライセンスを取得。すでに38歳だった池山さんの場合、JBCの規定では、年齢制限(37歳引退)に抵触するが、世界王者には年齢制限を設けないという特例によって、現役を続行できることになった。

JPBAは、JBCのクラブオーナーライセンスを取得したジム(通称プロジム)以外のジムによる世界戦を認めていない。フジワラ・ジムはプロジムではなかった。そこで、池山さんは香川県の「中外ボクシングジム」へ移籍。その後、西日本ボクシング協会の預かり選手となり、2010年、父が他界したのを機に、一度は現役引退も考えた。だが、「試合をしたいという気持ちは抑えられませんでした」。

3年のブランクを経て、2013年、現在の「futur」に移り、44歳で戦線に復帰した。

「週末は、高速バスと阪急電車を乗り継いで、岡山から京都に通っています。好きなことをやっているので、苦にはなりません」