「鮮魚店の刺身の92%から大腸菌が検出」された時代

さかのぼってみると昭和20年代、食うや食わずやの時代には衛生観念など二の次だった。例えば1949年(昭和24年)5月7日に施行された飲食営業臨時規整法は、あっという間に骨抜きとなっている。当時の報道によれば、施行からわずか1カ月後の6月16日に厚生省(現・厚生労働省)は「食品衛生法を厳密に適用すれば、露天営業は総崩れとなるので、公衆衛生上支障を来さない限度で緩和するよう、全国都道府県知事に通知」したという。理想を掲げたところで環境整備が追いついてこなかった頃の話だ。

実際、1953年(昭和28年)の東京都衛生局の調査では、鮮魚店の刺身の92%から大腸菌が検出されるという、現代では考えられないような結果も出ている。同年5月28日の朝日新聞東京版では「うっかり食えぬサシミ」「安全率は十回に一回」という見出しの特集が組まれ、その締めには都の衛生局職員が実名で「ですから私、サシミなど食わんですよ」とコメントしていた。何事においても、おおらかな時代だった。

昭和30年代に入ると、環境やインフラ面での衛生管理は強化されたが、過渡期ということもあってか、かえって集団食中毒などの事例が可視化されるようになる。1955年(昭和30年)には1年間で食中毒患者6万4000人以上、死者450人超という、最悪の食中毒禍が起きてしまう。

1960年代に入っても食中毒は常に身の回りにあった。朝日新聞だけを見ても「多い家庭の食中毒」(1963年)「冷凍マグロで食中毒 業者に取り扱いを注意」(1967年)、「のんびり衛生行政 おびやかされる食卓」(1968年)などの記事が掲載されており、さまざまな角度から衛生への注意喚起がなされている。しかし作り手の衛生意識は一朝一夕には変わらない。

『包丁人味平』が描かれた1970年代も、時代を包む衛生意識は戦後から高度成長期までと大差なかった。例えば、最初の料理対決となる「包丁試し」における「潮(うしお)勝負」。お湯と塩だけで吸物の味を決める対決で、コック歴数カ月の味平がベテランの仲代圭介と対決するシーンがある。店で味つけをしたこともない味平の不利は否めなかったが、流れ落ちる「汗」が鍋に入ったことで塩味がピタリと決まり、味平は勝利を引き寄せる――。

『包丁人味平』3巻より。味平の顔から汗がしたたり落ち、鍋の中に!

ストーリー上、味平が勝利するのはいいが、2017年を生きる現代人にとってはこの内容はドン引きだ。テレビのグルメ番組で「鍋に汗が!」というシーンが放送されたらクレームが殺到するだろうし、ニコニコ動画などでストリーミング配信されたら弾幕確定案件となるに違いない。