いい教師は小さなことにこだわらない

これは、以前の記事(※)で述べたように、子どもは言われた内容をわざと破るのではなく、どうしても実践しなければならない切実感がわかないのです。いわば他人事の状態です。
※参照記事:『親が「言えばわかる」子どもなどいない』http://president.jp/articles/-/17854

いい教師は、そこにこだわりません。

欠点や望ましくない点については改善に向けて教えますが、「まあ、そんなものだろう」と大きく構えています。本気で叱るのも、命に関わることや人を傷つけることなど、的が絞ってあり、限定的です。

たとえば、朝会ったら、普通「おはよう」のあいさつをしますが、返さない子どもがいます。そこを叱るよりも「何かあったかな?」「自信がない子なのかも」と考えて様子を見ます。これはあくまで一例ですが、「望ましくない」程度の行為に対しては、そういった診断的な対応をします。

「いい教師」は、望ましくない点の「治療」よりも、いい点を見つけることに重点を置いています。あいさつに関して言えば、反応したこと自体を認めて伝えます。そうすることで、次の行動がよりよくなるだろうと考えているためです。

次に会った時は、そのよくなった点を認めて伝えます。つまり、周りではなく、昨日の子ども自身を比較対象とし、成長を認めているのです。

子どもが間違ったときの対応が違う

また、「いい教師」は、間違いへの対応が異なります。授業中、子どもの回答がもし間違っていたら……。

「いい間違いだね!」
「間違うからこそ学校に来ている」
「間違いを知ること自体が勉強」
「間違いは挑戦の証。挑戦すればケガもする分、成長もする」

など、子どもの間違いを全肯定しています。

子どもが学校に来ていること自体を、いいことと見て、それを認めていきます。我が子の担任に、そういう肯定的な雰囲気があれば「いい教師」の条件の一つを満たしていると考えていいでしょう。

ただし「鍛える」という視点で、行動の間違いなどを厳しく指導するのも「いい教師」でしょう。特に打たれ強く反骨精神の強い子どもであれば、優しく諭されるよりこの方が効果的です。

子どもの間違いに対しては基本の対応策を持ちつつ、「絶対これ」と決めつけないで見ることがより大切です。