“掟”に従わないほうがいいときもある
世の中には多くのルールがある。
会社における「報告・連絡・相談を怠るな」「常に感謝の心を忘れるな」「全身全霊で仕事にあたれ」といった社訓もそのひとつだろう。組織として活動をしていくうえで何かしらのルールを決めて、共通の認識を持つことは必要である。
ところが、日々の仕事をしていくうちに、ポリシーや社内ルールと相反するような事柄が出てくる。それでも、決め事通りに、行動しなければならないのかどうか。
電通に入社して1年目の女性社員が、過労により自殺する事件が起きたのは記憶に新しい。この件に関して、電通の社員心得「鬼十則」が、長時間の労働を助長しかねないと、遺族らが問題視しているというニュースも流れた(同社は昨年末、「鬼十則」を社員手帳から削除すると発表)。
その心得には、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは」といったものもあるが、もしかすると新人社員である彼女自身は、額面通りこの言葉を受け取って行動しようとしたのかもしれない(もちろん、上司や会社側に最大の問題があったことは言うまでもないが)。
こうした社訓は、多くの企業に様々にあることだろう。だが、これを100%受け入れて、四六時中、働いていては、心は疲れるばかりだ。それに理想通りには、物事は運ばないことも多い。
その時、ルールといかに折り合いをつけて、行動するかが大事になる。あくまでも社訓というものは、働く上での定規の役割だ。定規自体を絶対視してしまうと、プラスの面よりも、マイナス面が出てきてしまうことになる。
特に社会経験の少ない若い人たちは、その辺りの匙加減がわからず、言葉を額面通り受けとってしまいがちになる。その定規の使い方を、上司や先輩社員が、適宜、教える必要があるだろう。
規「則」が規「束」になっていないか。
注意してあげることだ。それができないと、重大な問題が生じることになりかねない。先の電通の事件などは、まさにその典型例であるのかもしれない。
これからたくさんの新入社員がビジネスの舞台にデビューする時期を迎える。
おそらく、学生時代とは違う、新しい社会のルールのなかで、多くの若者が悩むに違いない。その時、「自分の頭で考えろ!」と、厳しく接することも必要だが、時に社会人の先輩として、ルールのマイナス面が作用しないように、物差しの使い方を適切に指導することが求められる。
決まり事には、功罪があるもの。部下を育てるのがうまい会社と、そうでないところの差は、案外、そうした点がわかって指導を行っているか否かというところにあるといってもよいだろう。