将来は予測できないが、つくることはできるという言葉がある。戦略を選択せずに自然体で実現できるのであれば、明確な戦略は不要である。戦略がないと実現できないことを実現するために戦略が必要である。不可能を可能にするのが戦略であるともいわれる。そのような戦略は、突出した要素を持っている。

コペンハーゲンで日本政府が提案したCO2削減目標値は突出したものであった。その意味で、この目標は極めて戦略的だった。しかし、鉄鋼業界など一部の産業界から強硬な反対があり、突出した目標の設定はできなかった。このような反対に対抗して突出するためには、強力なリーダーシップが必要である。果たして日本の政治システムでそれは可能だろうか。

戦略は、それに従った資源配分が行われない限り、絵に描いた餅になってしまう。戦略が実効性を持つためには、現在並びに将来の政策決定者が戦略にそった資源配分を行うことが必要である。ところが現在の政府は、将来の政府の決定を縛ることはできないし、官僚機構が戦略にそって動いてくれるという保証もない。現在のように官僚を敵に回すような方針をとっているかぎり、戦略の実現は難しいだろう。

企業の場合、次期執行部の人選は前執行部によって行うことができる。それゆえに資源配分の継続性をある程度担保することができる。政治の場合には、そのような継続性を維持するのは難しい。政府の場合、実際の資源配分を行うのは、官僚機構である。

この官僚機構を動かすのは容易ではない。法的な権限で無理やり動かすことができても、面従腹背になる危険がある。国の場合、資源配分の多くは民間企業や投資家が行う。政府はそれを誘導することができても、命令権はない。その場合に、戦略の実行を担保するのは容易なことではない。

 

成長戦略よりも成熟戦略を示せ

このように考えれば、政府が戦略をつくり、実行することは難しい。そのときに政府ができるのは戦略を示すことではなく、自らの戦略をつくりだし、そこに投資をしていくことができるような人材や企業をつくることである。日本の産業界には、優れた戦術家を育てる仕組みはあるが、戦略家を育てる仕組みは弱体である。

戦略を示すのではなく、戦略をつくって実行できる人材の育成の仕組みをつくることである。政府ができるもう一つのことは、現在の産業界のさまざまな動きに意味を与え、国全体がよい方向に進んでいるという自信を人々に与えることである。

世界の投資マネーを引き付けるためには、日本の将来の成長の方向を海外の投資家にわかるように明示しなければならないという見方もある。しかし、成長戦略で投資家の関心を引き付けることは難しい。成長という観点からは、日本よりも中国、インドのほうが魅力的である。経済の量的な拡大という魅力で資金を集めることはできるだろうか。むしろ、日本の場合は、上手な成熟の戦略を示すほうが投資家には魅力的だろう。そもそも海外からの投資は本当に必須のものか。投資を集めるとすれば、どのような投資を引き付けるべきか、をもっと深く考える必要がある。現在のところ、海外からの投資は証券投資に偏りすぎている。これを実物投資に振り向ける工夫が必要である。