日仏半々で過ごすエンジニア
生産現場と同じく、開発も長らく男職場だったが、高級セダン「ティアナ」などの開発を担当した初鹿野久美氏は、「機械工学科を専攻した大学、大学院時代から女性はまれだったので男性だけの職場に抵抗はないんです」と笑う。
今はアライアンスR&D企画室のアライアンスGM。日本とフランスを月の半分ずつ行き来する忙しい身だ。これまでエンジニアとして充実したキャリアを刻んできた。同時に珍しい女性エンジニアとして注目された。
「プレッシャーを感じないと言えばウソになりますが、女性であることを意識せず、一エンジニアとして仕事をしたいと思ってきました」
93年に入社し、長らく車体設計に携わる。09年からの2年間は開発部門で開発企画担当と、当時の副社長のテクニカルアシスタントを兼任する。その後、先行開発や課題解決メソッドの開発・推進の業務も経験する。
2000年、転機が訪れる。デトロイトの開発子会社への1年半の出向だ。
「新しくチームを立ち上げ、それまで日本が担っていた業務を少しずつ現地に任せるプロジェクトでした。私は自分が基礎設計していたクルマの開発案件を携えて渡米しました」