デフレ下の投資は地道な「順張り」

米国民一人当たりの所得は日本の約3倍なのに、家具の値段は日本の3分の1。店は広く、品揃えは機能や品質、色やデザインなど、使う側の身になって豊富だ。聞くと、家具チェーンは100店から200店を持ち、商品開発ではメーカーに対して主導権を持つ。当時、日本ではメーカーがそれぞれつくった品を、ただ並べるだけで、品数も少ない。店舗数も「増やしても、マネジメントができないし、多店舗にするメリットも出せないから、せいぜい5店程度まで」とされていた。大きなカルチャーショックを受ける。

帰国時には経営難への迷いも薄らぎ、「欧米並みの住まいの豊かさを日本の人々に提供したい」との夢を描く。すぐに似鳥家具株式会社を設立し、長期の経営計画を立てる。

40代を終えるとき、一つの決断をした。社内の米国セミナーに、入社前の内定者も参加させた。セミナーは、新しい知識や情報を社員たちに共有してもらうため、81年に始めた。新人たちにも、早くその一歩を踏み出してほしい。いまではパートの従業員も加え、年間に800人が4組に分かれて参加している。

ロス郊外のショッピングモールなどに5日間、ラスベガスの街に3日間滞在し、課題に沿って店を視察する。買い物も体験させ、毎晩、リポートを書かせる。最終日には、訪ねた店の品揃えや価格を数値化し、グラフにして提出させる。そこから、店側が想定しているターゲットがうかがえるし、ニトリの実情と比較もできる、という仕組みだ。

毎年、同行する。住宅展示場も見学し、モデルルームで家具の使い方や色の組み合わせなど「変化」をみる。定点観測だ。その際、住宅価格のデータが渡される。2005年、そのデータから、米国のバブル崩壊を予期した。日本でもそうだったが、住宅価格が短期間に2.3倍にまで高騰すると、バブルははじける。もう、その水準に達していた。

バブルがはじければ、米国景気は失速し、大波は日本にも及ぶ。翌年からコストを大幅に削減し、50億円の軍資金を用意した。ほどなくリーマンショックで世界経済が縮むなか、その軍資金が活きる。08年から計11回「値下げ宣言」を出し、デフレに苦しむ他社を尻目に消費不況を克服。11年2月期に、24年連続の増収増益を達成した。

実は、いつも「いつ景気がよくなるか、どのくらい好況が続くか」ではなく、「いつ景気が悪くなるか、どのくらい悪い状態が続くか」を予測している。好況時には、改革を進めても、他社とあまり違いはない。不況期にやれば、よそが立ち止まっている間、コスト削減に差が出る。社員たちも、いままでのやり方を変えねばならず、創意工夫をこらす。

景気が悪いときは、土地や建物が安くなるし、金利も下がる。よそが出店を控えるから、いい場所を確保できる。人材も流動化し、中途採用がしやすい。だから、デフレ下でも投資を続け、採用数を増やす。それを、「逆張り経営」と呼ぶ人もいるが、そうではない。ヨットではないが、逆風下にも前へ進むことこそ順張りで、「駑馬十駕」につながる。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)