コンサルタントの地位を捨てて起業

だが、あるとき気づいた。やたら売り込もうとするばかりで、顧客のことを何も考えていなかったことを。コンサルタントなら、顧客より顧客のことを知らなければならないという当たり前のことに思い至り、関係する本を読んだり、資料を読み込んで、顧客のために何ができるのかだけを考えた。

すると不思議なことに契約が取れるようになった。初めて個人として目標達成できただけでなく、所属するチームも達成した。それから1年半で新規顧客は300社、年間売り上げは15億円と、当時会社全体の2割強に達する売り上げを達成し、社内MVPを2度も獲得した。

2011年には27歳で、最年少のマネジャーに抜擢された。部下も5人ほどから始まって30人も束ねるようになった。

ところが、ここでもまた高くなった鼻をへし折られる。部下を5人も率いているのに、かつて自分1人で稼ぎ出していた半分にもいかない。かつて以上に働いているのに全く成果が上がらなかった。それは、部下に自分と同じことを求め、できないと怒鳴り散らし、関係が冷え切っていたからだ。影では「赤鬼」と呼ばれるほどだった。

だが半年後、リーダー格の部下からの指摘もあり、山下は考えを変えた。自分と同じやり方を求めるのではなく、部下の人間性や能力に合った支援・指導をするべきだと気づいたのだ。任せるべきは任せるようになると、部下のやる気がグッと上がって、チームの雰囲気もよくなり、成績が上がり始めた。

管理職としてもコンサルタントとしても充実した日々を送る中、29歳の誕生日を迎えた。

「その日、出張先のホテルでレポートを書いていると、母から誕生日を祝うメールが届き、『来年で30歳だなぁ』と考えた瞬間、会社を辞めようと思いました。不満など何もなかったし、仕事は楽しかったのですが、日本に貢献できる仕事がしたいと思うようになったのです。心の中にずっと“タネ”のようなものがあって、それが段々大きくなっていたのだと思います。僕は岐阜の出身で、隣家が伝統工芸の団扇を作っていました。でも後継者がいないし、地方は寂れていく一方。いいものが日本からなくなっていくような気がして、日本のよさを世界に向けて発信するブランドを作りたいと思ったのです」

とはいえ、それが何かはまだわからなかった。だが、偶然にも29歳の誕生日の後、友人を介して朝日に出会った。当時、朝日は中目黒でこだわりのカフェを経営し、「Bean to Bar」のチョコも作っていた。山下はそのチョコを食べて衝撃を受けた。

「それはオレンジのような味がしたんです。なんか入れているのかと思ったら、カカオ豆の味だと聞いて、これは文化になると思ったんです。日本人の感性を活かしたらチョコの世界を変えて、日本発のブランドにできると確信しました」

2014年6月、強く慰留されたが会社を退職。「Bean to Bar」やチョコ市場を調べるためにアメリカ、ヨーロッパを回った。その結果、「Bean to Bar」が新たな潮流になると確信した。帰国後、8月に朝日を誘ってBaceを設立。店舗の場所探しから始まって、その年の12月にMinimalを開店した。

「いま一番力を入れたいのは、素材と製法を研ぎ澄ますこと。僕はチョコのリエンジニアリングをしたいと思っているんです。できれば、焙煎や挽く機材の開発もしたい。日本人的な解釈でチョコの枠を広げることができればと思っています」と山下は抱負を語る。

2016年6月1日には銀座松屋の裏側という好立地に店舗を出した。世界のカカオ豆を試食しながら、選べるチョコレートスタンドだ。日本の「Bean to Bar」が新たな段階を迎えようとしている。

(文中敬称略)

株式会社Bace
●代表者:山下貴嗣
●創業:2014年
●業種:チョコレート製品の製造・販売、ビーントゥバー・チョコレート専門店の運営
●従業員:12名(アルバイト含む)
●年商:非公開
●本社:東京都渋谷区
●ホームページ(Minimal):http://mini-mal.tokyo/
(Bace=写真提供)
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