法人向けお弁当&ケータリング宅配サイト「ごちクル」、デリバリー型社員食堂「シャショクル」を運営するスターフェスティバルは、「弁当×IT」を切り口に業績を伸ばしている企業だ。

同社社長の岸田祐介氏は、ヤフオクがきっかけでインターネットを活用したビジネスに目覚め、大学中退の経歴の不利をはねのけ熱意を伝えて楽天に入社。その後楽天イーグルスの創立メンバーとして活躍するも30歳で退社、という異色の経歴を持つ。なぜ「弁当×IT」なのか? 岸田祐介氏と田原総一朗氏の対談、完全版を掲載します。

19歳、カラオケボックスバイトがきっかけで商売に目覚める

【田原】岸田さんは高校生のころから経営者になることを考えていたそうですね。どうしてですか。

【岸田】父親からの遺伝でしょうか。父は井戸を掘って地質調査をしたり農業用水を出すボーリング業を営んでいました。ただ、経営者になろうとはっきり意識したのは高校を卒業した後で、19歳のころでした。

【田原】19歳のときに何があったのですか?

【岸田】大学に入って大阪・道頓堀のカラオケボックスでアルバイトを始めました。店は夜6時にオープンして、朝5時に終わります。早朝お店を閉めていると、道頓堀の反対側にある宗右衛門町から、仕事を終えたホストクラブのお兄さんやキャバクラのお姉さんがぞろぞろと出てくる。彼らは仕事帰りなのに、早朝なので一杯飲んで帰る店がありません。うちの店を開ければお客としてきてくれるのではないかと考えて店のオーナーに提案したところ、「おまえが経営するなら、その時間だけ貸してやる」と言われて、朝の5時から夕方まで自分でお店をやることに。そのとき初めて経営というものを経験して、これは面白いなと。

【田原】どのあたりが面白かったんですか。

【岸田】あるときお客さんに「ドンペリ持ってこい」と頼まれたんです。お店にはビールとソフトドリンクしかなかったので、急いで酒屋に行って1万5000円で仕入れてきました。それをお客さんに3万円で売ったら、とても喜んでくれた。ニーズのあるところに必要なものを提供すれば、倍の値段でも感謝してもらえる。それってすごいことだなと思いまして。商売というものにすっかりのめりこんで、結局は大学も行かなくなり、中退しました。

【田原】経営はうまくいったんですか。

【岸田】大当たりでした。でも、うまく行きすぎて、約1年後に店のオーナーに取り上げられました。「そんなに儲かるんなら、あとは俺がやるからおまえはもういいよ」と言われてしまって。

【田原】それはもったいないね。

【岸田】当時は無知だったので、とくに契約書も交わしてなかったんです。もう店を貸さないと言われたら、引き下がるしかなかった。

【田原】そのあとはどうしたの?

【岸田】就職したかったのですが、大学を中退していたので、入れてくれるところがありません。最終的には親戚のツテでハンドバックの輸入商社に入れていただき、百貨店の外商をやっていました。百貨店側の外商担当と2人でお客様のところを回って、高級ハンドバックを売る仕事です。