「人は褒めとくもんですなあ」

フランス文学者の河盛好蔵さんは、澄ました顔でいったものだ。サドの紹介などで知られる澁澤龍彦が、若いころの仕事を河盛さんに褒められた話を後年になってからエッセイに書いた。それを読んだ僕が氏に報告したときの反応だ。

澁澤が気負いこんで訳したジャン・コクトーの『大胯びらき』は文壇から完全に無視されたが、ひとり河盛さんだけが「たいへんな名訳だ」と絶賛したのだ。

人は弱いものだ。たとえお義理とわかっていても、褒められれば悪い気はしない。逆に悪口はどんなに理が通っていても、言われた側に大きなしこりを残す。

もちろん河盛さんは嘘を書いたわけではない。澁澤のみごとな翻訳に心を動かされたのは事実だろう。だが、結局はそれが自分の評価にもつながっていく、という仕組みを十分に心得ていた。

澁澤が後々まで恩義を感じるに至ったポイントはもう一つある。直接手紙を出すのではなく、書評という形で世間を巻き込み間接的に褒めたことだ。これはビジネスにも応用できる。

のんびりしていて、大事な仕事を任せられない部下がいるとしよう。もう少しエンジンの回転数を上げさせるには、どういう手を使うべきか。単純に叱咤するのではなく、元気づけることでやる気にさせるという方法がある。そのとき役に立つのが、間接的に褒めることだ。

周囲に対して「彼はこういうところが優れている」と感心してみせるのだ。少し大げさに褒めてもいい。褒め口は伝聞によって半減するからだ。

褒めていると思わせつつ、問題点に気づかせるやり方もある。山口瞳のサラリーマン小説に出てくるのがこれである。

「君は才能豊かで有望な人間だと思う。だが、残念なのは少し慎重すぎることだ。ほんとうに惜しい。もっと大きくなるために、そこは直した方がいい」

河盛さんのように間接話法を取るのが望ましいが、一対一で語りかけても構わない。仕事上のメールに一言書き加えるのも効果的だ。

大事なのは欠点を直せと言っている後段の部分だが、前段で評価されているため部下は叱られているとは思わない。うまく運べば、上司に悪い感情を抱かないまま気持ちよく欠点を直すかもしれない。あくまでも「うまく運べば」だが。

(構成=面澤淳市)