「教科書は大人になってから読み返すとおもしろい」。落第生を自認していた詩人の萩原朔太郎はこう述べた。中高の教科書は教養の手がかりとして大事だが、日本社会ではもっと積極的な意義があったとフランス文学者の鹿島茂氏は指摘する。それは何か。「プレジデント」(2019年6月3日号)の特集「会話に使える『教養』大全」より、記事の一部をお届けします――。

萩原朔太郎も教科書を懐かしんだ

大正時代に活躍した詩人・萩原朔太郎は「教科書は学生のときに読むとつまらないが、学校と関係なくなってから読むと大変おもしろい」という意味のことを述べています。

フランス文学者・明治大学教授 鹿島 茂氏

朔太郎自身は学校へろくに行かない劣等生で、旧制前橋中学を落第、旧制高等学校に進みはしたものの結局は中退しています。そんな勉強嫌いの詩人でも、学校を出た後で振り返ると、教科書の中身には惹かれるものがあったのでしょう。私もその通りだと思います。教科書というものは試験のために内容を覚えようとするから嫌いになるのであって、授業や試験という制約なしに読めば大人のための優れた教養書です。

私は仕事柄、世界史や日本史については最新の高校教科書に目を通しています。というのも教科書は改訂される都度、最新の学説を反映させるので、常に最新の教科書の内容を押さえておく必要があるのです。

たとえば、フランス第二帝政(1852~70年)の皇帝であるナポレオン3世の評価です。かつては「陰謀とクーデターで権力を握った凡庸な人物」という扱いだったものが、最新の教科書ではナポレオン3世が開発独裁的な手法でフランスの近代化に貢献したことに触れ、パリの街並みを現在に通じる形に大改造したことなどをきちんと評価するようになったのです。

これは世界史の例ですが、物理や地学など理系の教科書も改訂を続けて最新の学説を取り入れています。大人が教科書を読めば、それで最新の世界観を得ることができるのです。

そもそも教科書の記述は、時代時代の雰囲気を反映して変わっていきます。私が高校で学んだ頃の世界史はほぼ「西洋史+中国史」で、それ以外の地域については付け足し程度の扱いでしたが、今はイスラム世界の歴史の扱いも大きく、タイのアユタヤ王朝などアジア、アフリカの歴史についてもきちんと記述されています。切り口も以前の事件史的な記述から、現代の歴史学の主流である土地制度や農業、気候の変遷など、より長期的・持続的な歴史要因を重視した記述に変わっています。

かつて歴史の教科書はマルクス主義の色が濃く出た、階級闘争史観で描かれたものが主流でした。しかし1980年代末に冷戦が終わり、共産主義への幻滅が広がった結果、そうした史観は影をひそめるようになりました。

こうした変化は教科書を書く学者たちの世代交代の結果でもあるでしょう。第2次大戦の捉え方ひとつにしても、実際に兵役を経験した世代と、それを経験しなかった世代で大きく違うのは当然かもしれません。

私は全共闘世代ですが、自分が同時代に経験した出来事についての記述を見ても、やはり自分がその場にいたか、そうでないかという違いは大きいと感じます。こうした時代による教科書の変化はどの分野にもあって、学生時代に学んだ教科であっても、今改めて新しい教科書を読むと新鮮に感じられるでしょう。

 

 

「プレジデント」(2019年6月3日号)の特集「会話に使える『教養』大全」は、本稿のほか、出口治明氏・竹中平蔵氏・御立尚資氏による「世界のビジネスエリートはなぜ、必死に教養を学ぶのか?」から「銀座クラブママはお見通し『本当の教養人』と『教養バカ』の違い」まで、経営者・識者総登場の大特集になりました。ぜひお手にとってご覧ください。