とはいえ、ますいを支えたのはドクターだけではない。ますいが、「目に見えない敵、がん細胞を叩いて叩いて、叩くと心を決めた」のは、メンタルトレーナー的存在の元慶應義塾大学ラグビー部総監督の上田昭夫がいたからだ。

上田はますいの店の客で、ますいのがん手術を知り、ケータイにメールを1日1通送るようになった。

「といっても励まされたことは一度もないんです。人は病や仕事に対してどう闘うのか。どうやって闘う地点に立ち、いかに弱い自分に打ち克つのか。そうした闘い方を毎日メールで指導していただいたんです。そのおかげで私は精神的にタフになれたと思います」

“上田メール”はこんな内容だった。

〈毎日闘っていれば、勝つときもあれば負けるときもある。今日治らなくても負けじゃない。大事なのは明日につながる負け方をするということだ。負けて恥ずかしくない、自分に対して納得がいく1日を過ごしなさい〉

ますいは語る。

「上田さんは他の大学に比べ体力的に劣る選手を戦う集団に成長させ、大学日本一を果たした熱将です。私のお店には多くの成功者や出世したビジネスマンがいらっしゃいますが、上田さんは誰よりも戦い方を知っている百戦錬磨の人だと感じました」

ますいの人生は苦難の道だ。DVの兄のために、ますいが15歳のときに家族は離散状態になる。そこから貧困街で自活生活を始め、バニーガールなどバイトをしながら大学へ通い、語学や資格(宅建取得)の勉強をした。

「1杯の飯にも困り、生き延びるためにたくさん苦労した経験もまた、私が崖っぷちで踏みとどまれた要因だったのかもしれません」

(文中敬称略)

▼がんとよく生きるための3カ条
[1]義務教育で「がんとは何か」を子供に教える
[2]保険に入れ。がんになったら入りにくくなる
[3]「生きることは、闘い」。悔いのない1日を生きる

作家・銀座「ふたご屋」ママ ますい志保
1968年生まれ。92年、明治大学文学部を首席で卒業。在学中から高級クラブのホステスとして働き、26歳のとき双子の妹・さくらとともに銀座に「ふたご屋」をオープン。大前研一ビジネス・ブレークスルー大学講師。
(堀 隆弘=撮影)
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