崖っぷちの心の支えは熱将から届いたメール
実は、開腹すると腹水に血が交じっていた。これは転移の兆候であり、除去したリンパ節にはやはり4個のがん細胞が発見され転移が確実となった。
「いってみれば、2度目の告知でした」。
そこで、術後10日もしないうちに、抗がん剤を投与することになったのである。1回につき3日間の投与。これを、時間をあけ18週間で6回行う。
ただでさえ、術後は咳をしただけで全身が震えるほど痛んだ。卵巣を取ったのでホルモンのバランスがうまくとれずに、体がほてったり、顔が赤くなったり、と体温調節もうまくいかない。それに加え、抗がん剤による副作用、不整脈、しびれ、脱毛に見舞われた。
「あまりの苦しさに何度も個室で泣きました。それで気を紛らわすため、ビールやドンペリも飲みました。また、病院食に飽き飽きして、夜こっそり抜け出して銀座や六本木のなじみのお寿司屋さんに行くことも。脱走は100回以上して、始末書を何度も書きました。始末書には『シャバの飯、最高!』と書いたこともありましたね(苦笑)」
自ら不良患者と認めるますいだが、聞けば、抗がん剤投与の後も、ホルモン治療や、リンパ節除去の影響による浮むくみ腫防止のための下半身トレーニングなど、苦しい治療をしっかりこなしたのだそうだ。
「私の病気の生存率(10%)から考えれば、もう死んでいてもおかしくありません。それが今こうして銀座で着物を着てバリバリ働くことができるのは、何より日本医科大の医師団、そして個別の治療の相談と定期健診をしていただいている佐藤俊彦先生(宇都宮セントラルクリニック理事)のおかげです」