本書の内容は、拙著『異業種競争戦略』で述べたこととその多くが符合していると思いました。私が自著で述べたのは、成熟した市場においては、これまで競争相手とは考えられなかった相手と正面から戦わなければならない局面が増えてくる、ということです。カメラメーカーが家電メーカーと、トイレタリーメーカーが化粧品メーカーと、ガス会社が電気会社と戦うという「異業種格闘技」がいたるところで見られます。
たとえば手軽で一世を風靡したゲーム機であるニンテンドーDSが、より手軽な携帯電話でのゲーム戦争を仕掛けられています。ここでは従来のソニーのプレーステーションやマイクロソフトのXboxを相手にした戦い方は通用しません。GREEやモバゲーあるいはiPhone上の数々のゲームに代表される携帯電話で楽しむゲームとどう戦っていくのかが求められます。
そこでは、同業種内での競争を前提にした従来の競争戦略は役に立ちません。こうした異業種格闘技では、自社の提供する商品やサービスを顧客視点で見ることが不可欠なのです。消費者は何に対してお金を払っているのかを常に自問する必要がある。
異業種間の競争を上質と手軽で斬ってみると、今まで見えていなかったことが見えてきます。自社製品は上質という価値で戦っているのか、手軽という価値で戦っているのか。また、さらなる上質・さらなる手軽で勝負を仕掛けられた場合、戦う手段を変えるか否か。
かつては成功していた商品に翳りがでてきたときに、重要なことを見落としていないかをチェックするためのツールとして上質と手軽という概念は役に立ちそうです。いまは消費者に支持され、順調に売れているものについても、この観点から定期的に見直していけば、不毛地帯に落ちることをある程度防ぐことができるでしょう。
上質か手軽か―――二者択一のぎりぎりの判断をどこで下すか、状況が変わった場合はどんな選択肢を考えればよいか、といった具体的戦略については、残念ながら本書で十分に掘り下げられているとはいえません。少し厳しい言い方をすれば、視点としては面白いが実戦で役に立つレベルにまで洗練された概念ではない。ロングセラーとなっているクレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』にその実践書としての『イノベーションへの解』があるように、『トレードオフ』にも現場で使える続編が出ることを個人的には期待しています。
本書の最終章では、上質と手軽のトレードオフという概念は、個人の仕事にもあてはまると述べられています。何かの分野をきわめたスペシャリストになるか、身近で頼られる人になるか。そのどちらかに自分の能力の発揮の仕方を決める人が抜きん出た成果をあげるということです。
これは個人のみならず、国のあり方にもあてはまると思います。今までの日本は手軽な国でした。低価格で信頼性の高い製品をつくることで競争力を発揮していました。しかしその地位はいまや中国や韓国に奪われつつあります。たとえば自動車。韓国の現代などに「手軽」で追い上げられる一方で、ベンツ、BMW、ポルシェといったヨーロッパの高級車と「上質」で互角に戦えるだけのオーラや個性はない。私は今後の日本は明確に上質を目指すしかないと思っています。
さまざまな価値が交錯しながら進んでいく時代のなかで、個人にも、企業にも、国にも「捨てる勇気」と「賭ける勇気」が必要とされているのです。
※プレジデント社の新刊『トレードオフ』より転載。