政治家としてセカンドプランを出したい
【塩田】下地さんは1996年に自民党公認で初当選した後、2003年に自民党を離党していますね。どういう事情と理由で離党したのですか。
【下地】自民党が最高の勢力を誇っていたときでした。首相も自民党、衆参も圧倒的に自民党、沖縄県知事も自民党推薦の稲嶺恵一知事、沖縄県議会も三分の二が自民党、名護市長も自民党、名護市議会も自民党が圧倒的多数でしたが、普天間基地の辺野古移設ができなかった。私はそのとき、この人たちの決断力ではできないと判断したんです。
そこで嘉手納基地への統合案を提唱しました。基地内に基地をつくるのは、沖縄県の許可も必要ないから、実現可能性が高いんです。小泉純一郎内閣で政調会長だった麻生太郎さん(後に首相)に提案した。麻生さんは面白い案だと言ってくれましたが、麻生さんの下で党沖縄振興委員長だった野中広務さん(元官房長官・元自民党幹事長)が反対して、沖縄振興委員長を辞めたんです。それで麻生さんは窮地に追い込まれた。
私は橋本元首相のところに行って、「橋本・モンデール合意から7年も経って、まだできない状態なので、政治家としてセカンドプランを出したい。駄目でしょうか」と言ったら、橋本さんから「駄目ではないけど、今は出す時期じゃない」と言われました。
野中さんにも説明に行きましたが、野中さんは「説明はいらん。辺野古や、辺野古や」と言う。私は「官房長官も幹事長もされて、できなかったじゃないですか。何でセカンドプランが駄目ですか」と言ったら、野中さんは「何を言っているんだ。駄目だったら、自民党を出ていけ」と。あれだけ言っていた人が、今は「辺野古反対」と言っています。
私が自民党を除名になったとき、地元で「政府が決めて、党が決めた辺野古に反対する下地君は除名したほうがいい」と言ったのが、今の翁長知事です。
【塩田】沖縄の自民党県連はその後、「県外移設・辺野古反対」を掲げますが、2013年にそれまでの公約を覆して「辺野古移設推進」に転じました。党本部はそのとき、「県外移設・辺野古反対」を唱えていた党所属議員を各個撃破して転向させたそうですね。
【下地】私は除名になりましたが、その後、自民党全員が「辺野古反対」となり、当時の仲井眞弘多知事も含めて、みんな一緒に「反対」と言ったんです。ところが、みんな賛成に回ってしまった。今、翁長さんだけが「反対」と言っている。変節したのは自民党です。世の中、いかにいい加減で、場当たり的な人が多いか。そこが今の沖縄の悩みなんです。
【塩田】2014年11月の沖縄県知事選に翁長、仲井眞の両候補と共に出馬しましたね。
【下地】沖縄を変えてみたいと思いました。国会議員としていろいろな経験をした者が県知事をやることが重要ではないかという思いがありました。
【塩田】もし今年の秋にもう一度、沖縄県知事選が行われたら、再出馬しますか。
【下地】考えていません。今は維新の党のために東京でどう頑張るかです。