「えっ、病院を出なくてはいけないの?」

▼家族構成
田中美千代さん(仮名・55歳):会社員/2人姉妹の長女 群馬県在住
夫(57歳):会社員/2人兄弟の長男
子ども:(3人はすでに独立)

現在、父(83歳)は要介護5で、山形県内の特別養護老人ホームに入居しています。母(78歳)は要支援2くらいです。同じく山形県内に住む妹(51歳)の家族と1年前から同居しています。

まず、3年前に父の具合が悪くなりました。きっかけは盲腸(虫垂炎)です。それが悪化して「痛い、痛い」と転んだ拍子に腰椎圧迫骨折。父はお酒が好きなもので、手術のときに麻酔が効かないなどのドタバタから始まって、その直後に、誤嚥性肺炎を起こしICUに入ることに。とにかく運が悪いというか、何というか。あんなに元気だった父が、3ヵ月の入院で、あっという間に要介護5になってしまったのです。

それまであまりにも、両親が健康だったので、まさかわが家にこんなことが起きるとは、家族は誰もまったく予想していませんでした。数ヵ月後に、急性期病院から退院勧告を受けたときには、「えっ、病院を出なくてはいけない?」「でも次は、どこに行けばいいの?」という感じ。介護についての情報も知識もまったく何にもなく、私たち家族は右往左往するばかりでした。

『50代からのお金のはなし』(黒田尚子著・プレジデント社)

病院にはソーシャルワーカーとか相談先が色々あるのが一般的なんですよね。でも、私たちの場合、なぜかそういう人が見当たらなかったんです。自治体にも、何度も足を運びましたし、「相談室」に座ったこともあります。専門家らしき人が入れ代わり立ち代わり、色々なことを言ってくださいます。でも、知識がなかったせいもありますが、私たちにはちんぷんかんぷんでした。

結局、入院先の看護師長さんが親身に相談に乗ってくださって、それで次の転院先(一般病院の療養病床)を見つけることができたのです。でも転院先の入院期間は長くありませんでした。並行して、受け入れ先の高齢者施設を探しており、そこに空きが出たためです。でも、その後も施設はいくつか転々としました。再び誤嚥性肺炎を繰り返し、病院に再入院しなければいけないからです。施設によって取り扱いが異なるようですが、父の入所していた施設の場合、いったんそこを出てしまうと、籍がなくなって、再度手続きする必要がありました。

父がこんな状況になってから母は、2年ほどひとり暮らしをしていました。妹は同じ群馬県内とはいえ別居していますし、私も離れて住んでいます。当初は、母が「お父さんの面倒は自分が見なければ」と気が張っていたのでしょう。介護タクシーなどを使って、2~3日に1度は、父の病院に通っていましたが、段々、苦になってきたようです。疲れて病院から帰ってきても、ひとりぼっちですからね。

妹も毎週のように父の病院に行き、週末は母を連れて自宅に泊まらせていました。ところが、そのうち母が「お父さんが怖い」など、変なことを口にするようになったのです。そこで一人にはしておけないと、妹家族との同居を決めました。