櫻井パパ「満面の笑み」といかない理由
旧自治省側が小笠原氏に次官を譲ったのは「櫻井潰し」が目的だったようだ。12年に旧郵政省が次官を取れば、13年の櫻井次官の芽はなくなる。出身省庁の格付けからすると、格下の旧郵政省が旧自治省を差し置いて12年、13年と連続して次官を握るのは掟破りだからだ。
「旧郵政省グループが総力を挙げて次官にしようとしている櫻井次官構想を潰せば、計り知れないダメージを与えられると旧自治省側は考えたのでしょう」(前出関係者)
このシナリオ通り、13年夏の人事では、小笠原氏の後任に旧自治省の岡崎氏が就任。旧郵政省グループは、岡崎次官を認める代わりに、櫻井氏を次官待ちポストの総務審議官に送り込み、翌14年に再び勝負をかけようとした。
だが14年夏、今度は、首相官邸から思わぬ横槍が入った。元総務相の菅義偉官房長官が「櫻井次官」に待ったをかけたのだ。官邸主導の強化を目的に「内閣人事局」を創設した官邸は、菅官房長官の下、中央省庁の人事を一元化、菅氏は絶大な権限を握っていた。
「その菅氏はまったく下馬評にも上っていなかった大石利雄消防庁長官を岡崎氏の後任に据えたのです。大石氏は岡崎氏との出世レースに負けて消防庁長官に転出した人で総務省内では“過去の人”と見られていた。噂では大石氏は菅氏と懇意で“1年我慢すれば必ず次官にする”と約束していたらしい。旧自治省グループとしても、旧自治省内で人事をたらい回しにすれば櫻井潰しになる。願ったり叶ったりだった」(関係者)
追い詰められた旧郵政省グループは、それでもあきらめなかった。大石次官を呑む代わりに、櫻井氏を総務審議官に留任させ、今夏の人事に備えたのだ。総務審議官の留任は異例のことだ。
「この粘り腰にさしもの菅氏も3代続けて旧自治省から次官を出すことをあきらめた。もし櫻井次官を阻止したら、旧郵政省グループの怨念を買うのは確実だった」(同前)
だが櫻井体制の実現は高くついた。櫻井氏が総務審議官に留任したしわ寄せで、将来を嘱望されていた吉良裕氏臣総務省総合通信基盤局長(78年旧郵政省入省・総務省官房長などを歴任)が総務審議官になれず、局長のまま退官。また官邸お気に入りの女性官僚の総務省局長就任を飲まされるなど、完勝には程遠かった。櫻井パパも「満面の笑み」とはいかないようだ。