だが、最も気になるのは社長公募に対するプロパーの役員や社員の反応である。田邊は「反発が出るかなと思っていたが、1人も出なかった」と苦笑する。
取締役専務執行役員の益森祥は「異例だなあとは思いましたが、外から招くことに対しては、社長の意向もわかっていましたので、私も含めてそんなに違和感はありませんでした」と謙虚に語る。
だが、いくら優秀とはいえ、外務官僚出身の八重樫永規が、自動車メーカーと部品メーカーが繰り広げる価格交渉の”修羅場”でうまく立ち回れるのか疑問が残る。
小林教授は「日本の場合はカーメーカーが決定的な力を持っている。部品メーカーに競争させて、少しでも安く買い叩こうとするのは当然ですし、場合によっては原価計算の帳簿を見せろと言ってくる。メーカーと部品会社はいつもケンカの関係なんです。おそらく田邊社長もそういう厳しい茨の道をくぐり抜けてきた百戦錬磨の人でしょう」と指摘する。
田邊も当然、その点を危惧する。
「得意先の購買に出向いて、頭が高いと思われたらこの業界は終わりなんです。それだけで発注しなくなる。言い方一つにしても、自分はそういうつもりで言わなくても相手がどういうふうに受け取るかが問題。そこは注意したほうがよいと本人にも言っています」
八重樫永規自身はもちろん商売の経験はない。だが、岩手県花巻市の実家は小・中学校に教材を卸す従業員15人ほどの小さな会社を営んでいた。幼い頃から父親の仕事を見て育ったという。
「ライバル会社と競って学校の先生に商品を売る仕事なので、商売は大変だという認識は持っています。面接の際に、社長から商売というのは、上から目線では成り立たない。その点は大丈夫かという話がありましたが、売る人と買う人の関係がどうあるべきか、子供の頃から見ているので大丈夫ですと申し上げました」