琉球王国と米・仏・蘭との国家間条約

日米「2+2」が合意確認した4月28日は、52年に日本が独立したサンフランシスコ講和条約の発効日だ。沖縄では「屈辱の日」とされる。沖縄や奄美などが切り離され、日米安保で基地が固定化された日でもあるからだ。

この日の朝、米ワシントンのど真ん中に「沖縄県事務所」(平安山英雄所長)が開設された。米軍の辺野古新基地建設に地元住民が反対し続けている事実を国際世論に訴え、日米両政府に建設を断念させるためだ。ホワイトハウスから徒歩10分。米国内の有力シンクタンクやロビイング事務所が密集する場所にある。5月27日に訪米する翁長知事も、滞米中はここが拠点となる。

米国で在外基地を所管するのは米上院軍事委員会だ。今年1月、同委員会の委員長に就任したジョン・マケイン議員は、「辺野古は知事レベルではなく政府の決定」「30年後に辺野古施設は必要か?」「普天間の5年後停止はありえない」「中東・ホルムズ海峡での機雷掃海活動、南シナ海での哨戒活動への自衛隊参加に強く期待する」といった発言でも注目された。安倍内閣の「安保法制案」閣議決定も、こうした米側の声に呼応したものだ。

4年前に当時の米上院軍事委員長らが見直しを求めた「辺野古案」が今回見直されなかったのは、仲井眞前知事の「埋め立て承認」以降、現地沖縄の情報が滞ったからだとの見方もある。米議会に情勢を伝える知日派が、沖縄の紛糾や翁長県政の抜本的な方針転換を外した可能性が高い。沖縄県が拠点を置いた地域には、前述のように米側中枢と意思疎通できるそうした手強い能力を備えた面々がひしめいている。

沖縄がこの独自“外交”に行き詰まれば「独立カード」を切る可能性が浮上する。その布石と取れる動きもある。

かつて、琉球政府や米軍は「琉球」の呼称をことさら使っていた。民族意識を煽って本土と沖縄の分断を醸成し、沖縄を統治しやすくするためだ。2月に浦添市は19世紀半ば以降の琉球王国と米・仏・蘭との個別国家間条約(文書原本)を一般公開した。他方、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の立ち上げと急伸が注目される中国も沖縄問題の動向を注視している。

「本当に沖縄の視野に独立があるのであれば、進展・成就のいかんを問わず、安倍政権にとっての致命傷となりかねません。ないとは思いますが(笑)」(元外務省外郭団体幹部)

官邸と沖縄の戦いは、まるで映画『仁義なき戦い』の組長・山守と子分・広能の理不尽なそれだが、官邸も外務・防衛官僚も、大国の狭間でしたたかに生き延びてきた“琉球王国の外交力”を少し甘く見ているのではないか。法的対抗策と独自“外交”の経過と記録は、そのまま「独立カード」を手にするための痕跡=証拠ともなる。いまは表だって口にしなくても、地固めは“粛々と”進んでいることになる。

「辺野古を勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ」と現地で訴えた直後に亡くなった俳優・菅原文太さんが生きていたら、「安倍さん、カードはまだ1枚、残っとるがよぉ」と言う場面だ。

(共同通信社=写真)
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