仕事への情熱がいちばん大切
その後も、仕事の依頼が絶えない。2006年、29歳のときに、ついに会社を興した。デジタル・フロンティアから資本参加などの協力を得た。フリーで仕事をしている頃から、同社とは取引があった。
当初は、「少数精鋭のデザイナー・プロダクション」をコンセプトにした。数人のメンバーで仕事を順調に消化していくが、壁にぶつかるようになる。
工樂氏は、「創業後3年間は猛烈に忙しかったのですが、数字(売り上げ)が伸び悩んだ」と冷静に振り返る。
「経営者としての考えや意識が甘かったんでしょうね。デザイナーとしていいものをつくれば、なんとかなると思い込んでいましたから。プレイング・マネージャーとして日々の仕事を消化することでいっぱいで、会社の経営まで目が行き届かないのです。ある意味で、つらい時期でした」
この頃、大きなチャンスにめぐり合う。遊技機器の液晶画面の映像制作依頼が大量に舞い込む。工樂氏は、「この機会を生かすことができれば、会社は必ずうまくいく」と確信したが、迷いもあった。悩み、眠れない日が続いた末に、経営者として最初の大きな決断をした。拡大路線に舵を切ったのだ。これを機に、社員10人ほどから常時20~30人ほどの体制にした。
工樂氏は、社員の採用にも恵まれたと語る。
「創業4~5年目の頃(2010~11年)は、今よりは採用がスムーズでした。この時期、採用した社員が今、リーダーなどになって、コア・スタッフとして支えてくれています。今の時期、あのような拡大路線をとろうとすると、優秀な人を獲得することが難しいですから、上手くはいかなかったのかもしれませんね。その意味で、私たちは運がよかったのです。ここ数年は、好景気の影響もあり、中途採用で優秀な人を採用するのは非常に難しいのです」
採用において、学歴だけで内定を出すか否かを決めないという。デザイナーなどの専門職を採用することが多いため、主に専門学校や美大の出身者がエントリーする。
「この仕事が好きじゃないと、長くは続かないのです。そのあたりは、面接などで確認するポイントになります。作品からは、その人の潜在的な可能性をみつけるようにはしています。いちばん大切なのは、仕事への情熱とか、気持ちでしょうね。古い感覚と思われるかもしれませんが、好きでないと続かないですよ。この業界は……」