工場にもある巨大コンパ部屋

コンパの発案者も京セラ創業者で、現名誉会長の稲盛和夫氏だ。創業まもない昭和30年代から、残業続きの社員をねぎらう慰労会を開いていたのがルーツとか。滋賀工場(当時)の設立当初、社員と「野外すき焼きパーティ」で鍋をつつく、若き稲盛氏の写真も残っている。

コンパの思い出を語る滋賀八日市工場長の松下茂次氏

京セラ流コンパを、滋賀八日市工場長の松下茂次氏はこう説明する。

「各組織が『同じ目標に向かって、みんなの気持ちを一つにする行為』がコンパです。ふだんの会議では、どうしても形式的な話に追われてしまう。お酒が入ると、人は本音で話しますから、腹を割って意見を交わすことができるのです」

役職が上になるほど、若手との対話が減りがちになるが、潤滑油の役目も果たすようだ。

現在は工場長の松下氏だが、かつては事業部の副事業部長を務めた時期もある。事業部門と間接部門でコンパの中身に大差はないが、生産では、課題解決のためにアイデアを出し合う場になるという。

実は京セラでは、大半の工場にも畳敷きのコンパ・ルームがある。コンパの参加人数は、状況によって違い、5~6人で行うときもあれば50人規模のときもある。一般企業の歓送迎会や忘年会と変わらないが、実施回数は断然多い。

「昨年1年間に八日市工場で開催されたコンパは350回ありました」と、総務課責任者の松永健司氏は説明する。客集めに苦労する飲食店が、うらやましがるような稼働率だ。

コンパで交わされるのは、仕事の話が圧倒的に多い。昔に比べて社員気質の変化もあるが、京セラでは病気や出張以外でコンパを欠席する社員は、まずいない。交通不便な工場では社員の大半は自家用車での通勤だが、大人数のコンパでは、最寄りの駅まで送迎バスを用意する。