映画監督 小泉堯史さん
1944年、茨城県生まれ。水戸一高から東京写真短期大学(現・東京工芸大学)へ進み、その後、早稲田大学文学部演劇専攻卒。早大の卒論研究で「赤ひげ」「七人の侍」などの名作と出合ったことから、黒澤明監督に師事。黒澤映画の助監督を務めたほか、私的な助手としても黒澤を支え続けた。2000年、黒澤脚本の「雨あがる」で監督デビュー。同作はヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞を受賞。他の作品に「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」など。14年10月4日(土)新作「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を公開。
食にまつわる思い出というと、僕にとってはすべて黒澤さん(故・黒澤明監督)の思い出につながります。黒澤さんはグルメだったし、よく食べた。とくに肉料理がお好みで、御殿場の別荘にいるときも東京・成城の家から牛肉が届いたとき、「これはまだ熟成が進んでないな。もう2、3日寝かせておこう」なんて言ってましたね。
「元町 梅林」に連れてきてくれたのも黒澤さん。誕生日や忘年会、映画の打ち上げの際、黒澤組のスタッフみんなを招待するのです。多いときは60人くらいになりました。三浦半島の魚介を使った魚料理からステーキまで、豪勢な皿が次から次へと並びます。食べきれないぶんは、プラスチック容器に入れて持ち帰る。その宴会がほんとうに楽しみでした。
みんながおいしそうに食べているのを見るのが黒澤さんの何よりの楽しみ。もちろん黒澤さん自身も食べるんですよ。晩年になっても食欲はまったく落ちなかった。一緒になって、ステーキなんかをほおばっていましたね。
とにかくスタッフに対し、こまやかな気配りをする人でした。とくに気を付けたのが食べ物のこと。ロケ地では何軒もの旅館に分泊しますが、それぞれの宿でどんな食事が出るかを助監督の僕に調べさせ、もし不足があれば「おいしいものを、たっぷり出してほしい」と頼んでいました。お昼は地元の方々に手伝ってもらい、大鍋の炊き出しをすることが多いのですが、それも「弁当ばかりでは飽きるだろう」という黒澤さんの配慮から。
僕も映画を撮るときは、なるべく食事にも気を配るようにしているのですが、予算の関係でなかなか黒澤さんのようにはいきません(笑)。ただ、お昼の炊き出しだけは続けています。この秋公開の『蜩ノ記(ひぐらしのき)』(10月4日公開)は岩手県遠野市が主なロケ地になったのですが、遠野の方々のおかげで、毎日のように温かいおいしいものを食べられました。
「永田町 黒澤」はその名のとおり、黒澤さんの没後に長男・久雄さんが始めた和食の店。料理では黒豚のしゃぶしゃぶと手打ち蕎麦が有名ですが、実は建物のほうも独特です。由緒ある料亭の建物に黒澤組の“職人”たちが手を加え、風情のあるしつらえにしたからです。前作「明日への遺言」を撮ったとき、外国人の俳優やスタッフをねぎらうためにこの店へ連れてきたのですが、彼らも目を丸くして喜んでくれました。