「わかってくれない」認知症の父を怒鳴った

そうした怒りが口に出るようになったのは認知症が進行し、訳の分からない言動が増えてきてからです。とくに声を荒げたのはこんな時でした。

父は排尿障害があり、おしっこがしたくなると尿道に管を差し込んでする自己導尿をしていました。が、体が不自由になるにつれ、それがつらくなり、尿が自動的にバッグにたまるバルーンをつけたいと言い出しました。

そのため医師に頼み込み、なんとか了解を得て病院に行った。立つこともままならない父を車椅子に乗せクルマまで運び、また車椅子に乗せ換えて病院まで運ぶ。その病院ではうまくつけることができず、別の病院に行くといったアクシデントもあり、大変な思いをしてバルーンをつけました。そのおかげでおしっこの処置については父も私も大分楽になったわけです。

ところが、認知症が進行してからは「おしっこがしたくなったから、この管を外してくれ」といいだすようになったのです。出た尿が自動でたまるのだから、おしっこがしたいも何もない。尿意はあるのかもしれないけれど、バルーンを外してしまったら、つけた時の苦労は水の泡ですし、またつける苦労をしなければなりません。外してはダメだということを、ボケた父にもわかるように順序立てて丁寧に説明しましたが、わかってはくれず、自分で管を抜こうとさえする。この時は、さすがに頭に来て怒鳴りつけてしまいました。

初めて父を怒鳴った後は自己嫌悪に陥りました。

自分を育ててくれた父親という恩人を怒鳴ってしまったという罪悪感。しかも、年老いて体の自由が利かなくなり、しかも認知症を発症している。おかしな言動をするのも当たり前であり、そんな父親に対して、何をむきになっているんだという思いもありました。そうやって反省し、今度はどんなことがあっても穏やかに対応しようと思う。

しかし次の日、また、同様の理解不能な言動があると、苛立ってしまう。そんなことの繰り返しでした。私の場合、介護は1カ月半ほどで終わったため、怒鳴るレベルで済みましたが、もっと長期間になっていれば、どうなったか分かりません。

この頃、そうした状況についてケアマネージャーに相談したことがあります。

担当してくれたケアマネージャーは、父の状態やウチの事情を理解したうえで的確なケアプランを作り満足のいく介護サービスを提供してくれた人。在宅介護の事情にも精通しており、感情のコントロールの仕方などをアドバイスしてくれると思ったからです。