自分たちで作り、自分たちで売る
玉川社長は1995年に大学を卒業し、玉川堂に入社した。当初、他の会社に就職しようと考えていたが、父親である6代目の政男氏から「うちの営業に入って、家業を手伝ってほしい」と頼まれたそうだ。
当時、バブル崩壊の影響で、美術品的要素の高い商品が売れず、売り上げが3分の1にまで減少していた。そこで、玉川社長は贈答品や記念品に依存していた商品構成を見直し、原点回帰をする決心をした。つまり、江戸時代に主力だった実用的な商品、やかんや鍋などをつくろうと考えた。
と同時に、流通システムの改革に取り組んだ。というのも、それまで同社の商品は2軒の問屋を通して百貨店などに納入されており、その結果、価格が1.5倍にも跳ね上がっていた。「その価格もさることながら、一番気になったのはお客様の声が聞こえなかったということです。それで、百貨店に直接売り込みに行ったのです」と振り返る。
しかし、最初はほとんど相手にされなかった。それでも、粘り強く交渉し、なんとか期間限定で販売スペースを確保。すぐに職人を連れて実演販売を始めた。そのときに、お客からさまざまな要望や意見が出てきたそうだ。それを燕に持ち帰り、商品づくりに生かした。
ビールカップやぐい呑みなどはその典型で、急須なども「お客様との会話を通じて、さらに機能性を高めた」そうだ。すると、扱う百貨店も増え、売り上げも徐々に増加した。また、海外からの注文も増え、今では全売り上げの25%が海外からのものだという。
「自分たちでつくったものは自分たちで売っていく必要がある」との思いを強くした玉川社長は、創業200年周年事業の一環として直営店を開くことを決意。2年前から都内で物件を探し始めた。そうしてオープンしたのが今回の南青山の店舗だったわけだ。そこでは最新の商品を展示すると同時に、生活空間の提案を行っていくという。玉川堂はこれからも伝統に胡座をかくことなく、新しいことにチャレンジしていく方針だ。