細川護煕

1938年、肥後藩主だった細川家17代目の護貞と近衛文麿の次女・温子の長男として誕生。かつては、高貴な人しか口にすることができなかった鶴を食用にしていたという家柄である。上智大学卒業後、朝日新聞社に入社。68年に退社し、父に勘当されながらも政治家を目指し、33歳で参議院議員に最年少当選を果たす。83年から91年まで熊本県知事を務め、92年に日本新党を結成。93年内閣総理大臣に就任後、98年60歳で議員を辞職。著書に『不東庵日常』(小学館)、『ことばを旅する』(文藝春秋)ほか。


 

晴耕雨読の生活は、学生時代からの憧れでした。その思いは年とともに強くなり、60歳で政界を引退後、祖母から譲り受けていた湯河原の家を「不東庵」と名付け、居を移しました。その後、窯場を造って焼き物を始めましたが、焼き物をやっていると箱書きで字を書くことも多く、手すさびをする機会も増えています。

書といえば、熊本県知事をしていたころにずいぶん書かされたものです。「勇気」とか「希望」とかならまだしも、「○○トンネル」や「○○会館」など、あまり気乗りのしない言葉もずいぶんありましたね。

当時は、毎週金曜の夕方などに時間を決めて、頼まれるままに書を認めていましたが、いまでは漢詩や和歌など好きな言葉しか書きません。

具体的にいえば、漢詩の好きな部分だけを書くときもあるし、古典や禅家の言葉などもありますが、大別すると自分の生き方の指針としている言葉、折々の心の動きに適う詩句、遊び心を表すものなどです。ご紹介した「赤坂潭亭」や「醍醐」にも私の書や陶芸を飾っていただいています。

書は見ることも好きで、古人の書展などは機会があれば出かけますが、やはり「書は人なり」でその人の生き方や思想に感銘を受けるものです。

陶芸、書以外にも、漆芸や絵なども手がけていますし、また近所のお百姓さんの畑を借りて野菜作りもしています。

新聞はとっていませんし、テレビも見ないし、パソコンも使いません。週に2回、目白にある永青文庫(細川美術館)に行く以外、東京にもできるだけ行かないようにしているし、もちろん政治の世界とはまったく無縁です。

不東庵での暮らしは、質実をモットーにしているので、起床も就寝も早く、儀礼的な会合や来客も極力お断りしています。そういうわけで、食事も一汁二、三菜、腹六分目が基本で、お酒も口にしないことのほうが多いですね。

シンプルライフを実践するために、衣類や家具などもできるだけ整理しているのですが、それでもなかなか思うようにはすすみません。理想は家の中をがらんどうのようにすることなのですが、本だけでも相当な量があるので、それをさらに整理して、残すべきものをせめて30冊ぐらいにはしたいものだと思っています。蔵書のほとんどは古典ですが、人生の残りの時間を考えれば、そんなに多くの本は読めません。『老子』『良寛』『徒然草』、陶淵明をはじめとした『中国名詩選』など、どうしても身近に置いておきたいものだけに絞っているところです。