川村妙慶さんは福岡県の真宗大谷派のお寺の長女として生まれ、僧侶の修行をし、今は京都の、やはりお寺の長男に嫁した僧侶。ネット上の日替わり法話が人気を呼び、毎日200通以上寄せられる悩み相談のメールに向き合っている。相談内容は多岐に及ぶが、夫婦喧嘩にまつわる問題も少なくない。
こうしたキャリアから、ご自身の夫婦仲は波風一つ立たない穏やかなものだろうと思いきや、結構にぎやかなバトルを展開することもあるという。先日もこんなことが――。
自分が怒れば相手も怒る
法話の原稿整理のため、事務所で、花を生けてお香をたきながらパソコンの前に座っていたときのことだ。好きな花と香りに包まれて落ち着いて仕事に取り掛かろうとしたのだが、部屋に入ってきたご主人から生け花もお香もすぐやめろと厳しい口調で「怒られた」という。
「夫は匂いが好きとか嫌いとかではなく、パソコンという機械は煙に弱い、水に弱いと言います。空間を楽しもうとする私の発想とはまったく異なる物事の見方なのです、強い口調で言われたものだから、私もムカッとしました。でもここで言い返したら、相手に言われっ放しはイヤ、負けたくないという、争いが始まってしまうのです」
夫婦・家族ゆえに言い方に遠慮がなくキツイ。身内であればあるほど、何でもない「ゴメン」の一言が切り出せない。その結果、お互いに主張がとがってしまうのだ、つまり「自我」がはっきりと表れてくる、自我の「我」という字はギザギザの形をした戈(ほこ)と書く、戈は敵を突き刺すために用いる武器、槍(やり)だ。
「余裕のないときなら、こちらも言い返してしまったかもしれません。でも、相手の槍に対してこちらも槍を出せば、向こうもさらに槍を繰り出してくる。これでは家族という共同生活は成り立たない。『自分が怒れば相手も怒る。自分が笑えば相手も笑う。相手の顔を決めるのは、いつもこちらの顔つきだ』という教えもあります」
なるほど、夫婦喧嘩の解決策となりそう。でも考えようによれば、自らせっかく戈を収めてもその心が相手に伝わらなければ「私だけが我慢している」「私ばかりが損な役回り」。相手の言いなりになっているようで不満やストレスがたまりかねない。この処世訓、凡夫にはちょっと、ハードルが高いかも。
「いえ、相手の言いなりになるのではなく対話することが大切なのです。私の場合はちょっと、落ち着いたところで手紙を書きます。手紙といっても便箋ではなくポストイットに。まず、『今日は1日お疲れさま』と書き、自分はこう思っていると2、3行で簡明に。手紙は一方通行なので要望やグチの羅列になりがち。ポストイットはグダグダ長くならないのがいいのです」
書くという行為には、自分の考えを客観化して整理し、相手の立場も理解しようとする心の余裕が生まれる作用があるというのだ。小さなポストイットを円満アイテムとして生かしている妙慶さんなのである。