一方、本物のベートーベンのほうは、イメージに合わせて自分の行動を決めたのではなかった。ベートーベンは、第一交響曲を作ったあたりから耳が聞こえにくくなった。しかし、耳が不自由であるということを、周囲には隠した。
というのも、当時のべートーベンは作曲だけでは生活できず、指揮や演奏などの活動を続ける必要があったからだ。耳が聞こえないことがわかると、これらの仕事もできなくなるのではないかと、ベートーベンは考えたのである。
その作品も、人々の期待に応えたものでは必ずしもなかった。耳が聞こえなくなることで、かえって、内側からわき出てくる音に集中できたのではないかと考える音楽学者もいる。ベートーベンの音楽は、世間の期待とは真逆の、革新性に満ちていた。
その象徴が、交響曲のクライマックスに合唱を持ってきてしまうという、当時としては破天荒な「第九」。ベートーベンは、人々の期待に応えようとしたのではなく、自分の内なる感性を追究したからこそ、100年も200年も残る音楽を創造できたのだ。
その時々の世間の期待に応えるのは、市場の中での適応戦略として合理性がある。企業が、商品やサービスを考える際に、市場の期待を無視するわけにはいかないだろう。
一方で、あまりにも市場に合わせると、革新性がなくなり、価値も結局永続しない。1つのジャンルを切り開く新しい商品は、むしろ、自分たちの内なるロジックを追いかけることでこそ生まれる。
ベートーベンは、世間の思惑など気にしないで自分の音楽を追究する、本物の天才であった。今の世の中で言えば、「ロックンロール」のスピリット。だからこそ、その作品は今日でも人々に愛され、聴き継がれている。
(写真=AFLO)