まず土地に赴いて、設計

東日本大震災の発生当時、宮城県の女川町長だった安住宣孝は、坂の提案による「多層コンテナ仮設(2、3階建て)」を受け入れた背景を、以前、私にこう語った。

「震災直後は、議論に時間を費やさず、一刻も早く、被災者支援を具体化したかった。宮城県が奨める一般の仮設建設も進めていましたが、とにかく平らな土地が少ない。野球場に2階、3階でつくれるならいい。坂さんの第一印象は、最初に設計ありきで説明する建築士とは全然違っていた。彼は、その土地、場所に赴いて、そこから設計するんだね。何が一番必要か、しっかりつかむ感覚をもっている。坂さんには先生臭さもないでしょ。あれが彼の魅力だね」

坂は、1週間おきに東京とパリを往復し、2週に1度は京都芸術大学で教鞭をとる。その合間に世界各地へ出張する。ふだん移動する航空機の座席は「エコノミーからビジネスへのアップグレード」だ。マイレージが溜まっているので、アップグレードできるが、航空会社は出発の直前までなかなか認めようとしない。ここでも粘る。ファーストクラスでの行き来は? と水を向けると「そんなのあり得ない」と一笑に付す。

日本のビジネス・パーソンにも「グローバルな視点」が不可欠だと説く。

「もう世界的な関係を抜きにビジネスは考えられないでしょ。似た者どうしで固まる日本的なやり方は通じません。プロジェクトのリーダーは、扱いにくいくらい個性の強い人を集めて統率しなくては、いいものはできない。そのためにはどんどん海外に出たほうがいい。僕がアメリカの学校に入って最初に驚いたのは、くだらない質問でも平気で学生がすること。それに先生もキチンと答える。恥ずかしがったりしません。素晴らしいと思った。逆に日本人は授業をサボる。そっちのほうがよほど恥ずかしいと世界の人が感じています。日本の常識は世界の非常識。そこに気づいたほうがいいですね」

坂のプリツカー賞受賞は、建築と社会の関係を根底から問い直すエポックとなった。(文中敬称略)

山岡淳一郎(やまおか・じゅんいちろう)
ノンフィクション作家
1959年、愛媛県生まれ。出版関連会社、ライター集団を経てノンフィクション作家となる。「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマにエネルギー資源と政治、近現代史、医療、建築など分野を超えて旺盛に執筆。東京富士大学客員教授も兼務。主な著書に『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『原発と権力』(ちくま新書)、『田中角栄の資源戦争』(草思社文庫)、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社)、『成金炎上 昭和恐慌は警告する』(日経BP社)、『放射能を背負って』(朝日新聞出版)、『国民皆保険が危ない』(平凡社新書)、『インフラの呪縛 公共事業はなぜ迷走するのか』(ちくま新書)ほか多数。
【関連記事】
「建築界のノーベル賞」が志向する、建築家の大切な使命とは
安藤忠雄「一人ひとりがリーダーとなり、国を支えよう」
「日本のものづくり力」×「現代アート」で世界へ!
「東京五輪」決定を1番喜ぶのはだれか
「ヒット請負人」ユーミンの創造を支える4つの力