1 新しいことへの挑戦力

松任谷由実。1972年、多摩美術大学日本画科に在学中、シングル盤「返事はいらない」でデビュー。その後、現在までつねにヒット曲を出し続けている。有為転変のエンターテインメント界にあって、稀有な存在だ。そんな彼女の思考法にはいくつかの特徴がある。

「返事はいらない」で旧姓荒井由実としてデビュー。2010年5月26日、40枚目のDOUBLE A SIDE SINGLE「ダンスのように抱き寄せたい/バトンリレー」をリリース。

ひとつ目は、デビュー以来、彼女はつねに新しい価値や方法を見つけ、それに挑戦していること。2010年5月に発売されたダブルAサイドシングル「ダンスのように抱き寄せたい/バトンリレー」(EMIミュージック・ジャパン)でも、その考え方は反映されている。

「ダンスのように抱き寄せたい」は映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(配給・松竹)の主題歌で、「バトンリレー」は上場して株式会社となった第一生命保険のグループソングだ。どちらもバラードナンバーで、聴いていると、励まされ、前向きになる曲である。そして、このCDのどこがチャレンジングかといえば、音楽業界で初めて「CDCM」と銘打たれた、ふたつのCMが録音されていることだ。それも商品名や企業名を連呼する単純なコマーシャル・メッセージではなく、CDのために作られた独自のそれである。一本は映画『RAILWAYS』のスピンオフストーリーで、もう一本は第一生命の企業キーワード「繋ぐ」という言葉をテーマに、人々に静かに語りかける作品となっている。

そんな彼女の新しいことへの挑戦は音楽分野だけにとどまらない。日常の生活でも、旅に出かけたり、美術館や博物館を訪れたりと、つねに感性を刺激するための価値を探している。

例えば旅。彼女の旅行先は縦横無尽で、欧米、アジアから始まってアフリカや南米にまで及び、2010年は「家庭画報」(6月1日発売)の取材でショパン生誕200周年を祝うポーランドへ足を延ばした。

また、人との出会いも多い。音楽業界の人間とだけ話をするのではなく、さまざまなジャンルの人々とコミュニケートしている。都知事の石原慎太郎、建築家の隈研吾、女優の吉永小百合、森光子……、知性と社会的な意識がなければ、多様なジャンルの人間と話を展開することはできない。一流ジャーナリストにも比肩しうる活動範囲だ。

そうして、つねに新しいことに挑戦しているのだが、本人は「いろいろなところへ行ったり、人と会ったりしているけれど、決して、曲作りの材料を探すためではない」と語っている。意識的な努力ではなく、未知と出合って、自分に刺激を与えることが習慣になっているのだろう。

2 創作に没頭する集中力

2番目に挙げられるのが創作に際しての集中力だ。それもねじり鉢巻きで、「私はこれから思いっきり集中します」といった悲壮な気配が漂うものではない。自然にスイッチを入れ、創作に没頭できるのが彼女の持つ集中力だ。彼女は自身の集中力について、こう語る。

「高校生の頃、心のなかではミュージシャンになりたかったけれど、親に反対されたこともあって、大学は美大の日本画科をめざすことにしました。それで、絵の訓練を始めて、あるとき、花笠をデッサンしました。花笠とは藁で編んであって、桃色の紙でできた花がついているもので、ほら、花笠踊りに使ったりするもの。私はB3くらいの大きな紙を濡らして画板に貼りつけ、鉛筆で花笠をデッサンしました。一晩中かかって、藁の一本一本まで、克明に描いて、気がついたら、部屋のなかに朝の光が差し込んできていた。そして、ふと机の上の紙を見たら、朝日のなかに花笠が現れていた。対象を見ることと描くことに集中したあまり、時間を忘れ、タイムスリップした状態だった。集中すると、ほんとうに時間を忘れてしまう。その後も、作詞や作曲のとき、同じような体験をしたことがあります」

このエピソードはビジネスマンにとって役に立つ。ビジネスマンなら誰しも企画書を作るとか、プランを練ることがある。その場合、無理やりに集中しても、アイデアは出てこない。いいアイデアが出てくるのは、時間を忘れるくらい、ひとつのことに意識を集めたときだけだ。

彼女は「絵を描くことは集中するための、いい訓練になった」と語る。